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◇ 斉藤利男「平泉 北方王国の夢」

二十数年前に、宮城県図書館・仙台市図書館所蔵の平泉の関連本はだいぶ読んだ。
体感としては8割5分。まあ控えめに見積もっても7割は読んだでしょう。

今回、知識を刷新するためにそれ以降に発表された書籍をツブしていくことにした。
二十数年も経っているんですから、その間に研究もずいぶん進んだはず。

――と思って1年くらい前から何冊かは読んでいるんですが、
大変示唆に富んだ内容の本に初めて巡り合えた。

二十数年前はまずは高橋富雄、次は入間田宣夫だよね。
この二人が二強だった時代は長かった。他に大矢邦宣、工藤雅樹。八重樫忠郎は
現地の教育委員会での研究者。当時、斉藤利男は岩波で新書を書いたくらいの、
比較的若い研究者でした。

その斉藤利男さんが研究者人生を真面目に歩いて来て、岩波新書から20年経ってから
書いたのがこの本。他にも書いているだろうけど。
まあこの本自体も刊行は2014年だからまあまあ昔ですよ。
でも内容がわたしが求めているものとすごく合致したので、コレコレ!と思った。

……だがこれから読むかもしれない人にご注意点ですが、
平泉、奥州藤原氏についての1冊目の本はコレジャナイです。
単にビジュアル書籍ではなく、学術寄りの本で読みたいという人でもコレジャナイ。

この本は平泉についての本はすでに何冊か読んで、一般的な流れは頭に入っている人が
さらに上積みを求めて読むもので、前九年役、後三年役、安倍氏、清原氏、
そして清衡基衡秀衡の人生の基本的な知識が必要になります。

平泉、奥州藤原氏に関しては、
1冊目はまずビジュアル図説書籍を読みましょう。
2冊目は……吉川弘文館の人物叢書は歴史上の人物についてのわたしの基本だけど、
さすがに昭和33年初版の書籍を薦めていいものか少し悩む。これ高橋富雄著作です。
3冊目、4冊目はなんでもいいです。というか、最近のはわたしが読んでないので
何を読めばいいかわからない。
そして5冊目くらいに、この本がおすすめです。

 

※※※※※※※※※

 

今回の平泉は二十数年前の知識からのアップデートが目的なので、
メモをとりながらけっこうマジメに読んだのよ。
だがそのメモを残しておくところがここくらいしかないので、個人的な覚書を
ちょっとメモっておきます。

〇経清の出自。出羽の国散位平国妙の外甥。経清の祖父、兼光が1004年、1012年頃
陸奥国鎮守府将軍。異母兄がいたらしい。初耳。

〇清衡の母のこと。長女の有加とされることが多かったが(根拠史料はなし・驚)、
三女の一加ではないかという意見。経清との年齢差は大きく、30歳前後。
清衡と経清の年齢差は50歳くらいではないかとのこと。ちょっとイメージが違う。

〇安部富忠、宇曾利郡他2郡の遺跡。
八戸市林ノ前遺跡は安倍頼時に敵対しうる別の勢力の本拠地だった可能性。
八戸から下北半島を勢力範囲としていたのではないか。大量の鉄鏃出土。

〇新青森駅北の石江遺跡群は外ヶ浜までの最終前線基地で、渡島との交易拠点の可能性。
エミシ系の豪族拠点。たしかに渡島との交易には十三湊は遠すぎるか。

〇喜界島との比較。喜界島は中央系の貿易拠点だったこと。
……とはいうてもさすがに言うほどか?とは思うけど。まあ貿易の集積地になり得る
位置ではあるが、奄美大島の方が面積も広いしいいよなあ。夜光貝は喜界島経由で。

〇「陸奥話記」の著者は藤原明衡で決まりらしい。昔は「可能性もある」止まりだったが。
頼義との関わり合いは疑問だけど。文章博士と清和源氏の棟梁の力関係は?
まあ文章博士は金はなかっただろうから、金を出せば面倒な仕事でもやっただろう。

〇延久の役とは。これ聞いたことないねえ。後三条帝が新王朝の創始者というのも
認識してない。大和源氏の棟梁源頼俊(義家の又従弟)が陸奥守として征伐将軍、
副将が清原真衡。敵は閉伊郡あたりの地元民と蝦夷が島の住民。
ここらへん全く知らんから、これは別件でしっかり読みたいねえ。
誰がくわしいんだ、この辺。

〇中尊寺供養願文は藤原敦光。明衡の子。明衡と頼義・義家の交流は都でいいだろうが、
敦光は平泉まで来たのだろうか。さすがに来ないよねえ。だからといって清衡が行った?
それはないとはいえないけど。都見物だって大切だし。

〇平泉の仏教に明王系は受け入れてない。五智如来=五大堂。夷伐の明王だから。
中央二十二社というのも初耳だが、その神社の系統、全てを受け入れてはいない。
自分たちの思想に合う神さまだけを勧進している。白山。八坂。

〇平泉は浄土思想を受け入れて、京都に追随しているイメージで語られがちだが、
それは違うと著者。もっとグローバルな、本場中国から直接の宗教移入もあったのではないか。
まあでも、少なくとも秀衡以降はもっと京都に寄っていた気はするよね。
奥さんとお舅さんは都の人なんだもの。影響を受けずにはいなかっただろう。
秀衡の頃に神社が増えて、宗教形態もだいぶ変わったらしい。鎮守府将軍になったことが契機。

〇花立廃寺・衣川地区の解像度が上がってきている。発掘も進んだ。
大規模建物の跡も出土している。でも井戸・厠などの出土がないのはなぜなのか。
祇園地区に大型建物があったことも意外。

〇著者は秀衡の息子を4人で想定している。6男くらいまでは名前が伝わっているが。
泰衡と忠衡の年齢差は10歳くらいと想定。

〇著者は泰衡が無能だったわけではないという意見。

 

わたしは十三湊に注目しているので、十三湊に言及がないのはちと不満。
でも近年発掘もされていないんだろうからな。

著者は平泉のグローバル性、独立性を大いに認めているが、そこまで重く見るのは
どうかと思う。後世から見た視点が大きいのではないか。
一般的に思われているよりは独立性はあった気はしているし、あって欲しいのだが、
中国、南方、北方の情報がそこまであったか、そこまで俯瞰した視点があったかというと。

この本では宗教関係の内容が相当深く、正直わたしの知識では説明されている内容は
味わえなかった。神社仏閣好きだし、仏教・神道の話も全日本人の平均よりは知識があると
思っているけど、さすがにこのレベルの話までいくとついていけない。
……でもこの程度の仏教・神道の話が理解出来るまでは、そもそもの日本宗教について
仏教神道最低25冊25冊で50冊くらい読まなきゃあかんのではないか。
そんなに読むまで寿命が持つかなあ。他の本も読まなきゃいけないんだし。

秀衡が妻を国衡にめあわせ、っていう話はどうも呑み込めないんだよなあ。
でも概年齢で計算すると、秀衡と基成はほぼ同年代だから年齢的にはそんなに無理でもないか。
とはいえ、母が庶兄に嫁いだからと言って泰衡がさらに国衡に絆を感じるようになったか。
そこからすると、むしろ初めからぎくしゃくしている状況の方が考えやすいか?
妻というか、人質とまではいわないけど、相当強引な融合策?
100年くらい前ならあったかもしれない方法ではないかと思うけどね。

長くなったが、こういうわけで面白い本だった。2014年出版だから、
まあここからさらに研究が進んでいるはずだが、この時点までの成果としては満足。
今後も追っていきましょう。どっとはれ。

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