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◇ エドウィン・アボット・アボット「フラットランド」

数学者が書いた啓蒙ファンタジー、という理解で読み始めたのだが、
序盤で違和感があって、そこからどうもノレなかった。
つまりあんまり面白くなかった。

0次元が「点」でポイントランド、
一次元が「線」でラインランド、
二次元が「面」でフラットランド、
三次元が「立体」でスペースランド、

フラットランドの住人が世界の見え方を語る――。

――という話の立て方は魅力的だが、フラットランドの世界の方位の知り方が強烈に違和感。
根本的には南側へ引っ張られる(架空の)重力の存在があり、その重力の微妙な差異を
感じて住民たちは方角を知ることが出来るのだが、他にほんの補助的な手段として、
「雨」と「木」などからも方角がわかるということになっている。

雨と木……?

雨はまあ何とか呑み込んだ。北から降り続けるというならそういうことにしましょう。
でも、二次元においての「木」がどうしても想像出来なくて。
雨が呑み込めるなら木も呑み込んでいいはずだが、木が「木」ということだけで出てくるなら
(概念だけでいいのだから)まだしも、方角を知るために木を使うというなら、
そこには年輪の幅とか木の茂り方とかがどうしてもあるわけですよ。

二次元で年輪は存在しないのでは?

あー、縦割りにすれば年輪は見れるか。枝の茂り方もまあなくはないか。
導管も平面でなんとかなるのか。二次元の木でも導管があっていいのか。
なにしろ二次元の世界なんだから。
いやでも、導管は水や空気を吸い上げるためのものであって、
立体じゃないとそもそも意味が……

ここでかまされた違和感が、それ以降の世界を全て疑問に感じさせちゃったんだよなあ。

正直、根本的にこの本に書かれた二次元の世界は存在しない。
二次元には「横から見る」って概念があり得ないのよね。
厚みが生じた時点でそれは二次元ではない。だから隣人を「直線」として捉える世界ではない。
それを考えると、多角形がどうこうという一番魅力的であろう部分が――ノレない。

まあ考え方は面白いから、のってあげたい、ノリたい、とは思ったんだけどね。
でもノレるかどうかは納得感の話だからちょっと無理だった。
うっすら面白くはあったけど。

読みながら、これは強烈な男女差別の話なのか?
それとも強烈な男女差別を揶揄した本なのか?悩むことが多々あった。
こういうところ、その本だけではわからないところが恐ろしいよね。
著者の社会的背景や普段の言動を知って初めて、どういう考え方を持っている人かわかる。
ここもわたしはAIに訊いた。AIは「揶揄ですよ」と答えた。
だがAIが言うことが真実だとは限らない。AIは嘘をつくからな、しらっと。

巻末についているアイドゥン・ブユクタシという写真家の写真が面白かった。
何枚かあるんだけど、モスクの「正面からの真上」、のアングルが。めったに見れない。
次元の壁を超えるイメージの写真として良かったね。

 

 

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