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◇ 鹿島茂「蕩尽王、パリをゆく 薩摩治郎八伝」

久しぶりの鹿島茂。安定ですな。
読みやすく、面白かった。

しかし書き手の位置がとても公平な第三者なので、わたしが薩摩治郎八に期待していた、
どばーっとした成金的エピソードの数は少なめ。その分、著作としての品は良いが、
週刊誌的な興味はあまり満たされません。良くも悪くも。

冒頭でわたしが勝手にがっかりしちゃったのが、
あの頃のパリで豪遊したのは薩摩治郎八が最初期だと思い込んでいたのに、
数々の先人たちがすでにいたというところ。単にそれの模倣ではないのか。
しかもそれが皇族・華族――人々の税金、代々の家産で豪遊していたんだから、
なんか複雑な気分になりますねえ。

薩摩治郎八は自分の祖父と父が築いた財産を蕩尽したんだから潔い。
――とも言えないけどね。なにしろわたしが小市民なものだから、もう少し計画的に
金を使えというか、入ってくるお金を計算しながら使えとか、いろいろ思っちゃう。
しかも本人は使う一方なんでしょう。お父さん、お祖父さんの苦労を考えろ。

でもまあ、蕩尽も才能がないと出来ないよね。そこも含めて、人物ではある。

あと正直いえば、薩摩治郎八の容貌が……
若い頃のポートレートはかろうじて御曹司っぽさがあるんだけど、
20代半ば?くらいで結婚した頃の写真なんかを見ると、いうたらなんだが、
……そのスジの人にしか見えない。

サングラスが良くなかったんじゃないかなあ。
あと髪型も。多少小太り。これで当時のパリ社交界でもてはやされたのが信じられない。
日本だったら現れただけで道を空けられそうな容貌。
でも写真映りが悪いんだと思うことにしましょう。

鹿島茂は、フランスがナチスによって占領された時にフランスへ戻った治郎八を
とても高く評価している。だがわたしは読んでて「そんな大変な時に日本人がフランスに
行って何か意味があるの?」と思った。だってだいたいの人が政府勧告に従って
帰国したんでしょう?

だが人助けをしていたりしたらしいよ。
実際にはやる「仕事」は少なかったらしい。「フランスへ戻ってきてくれ」と
治郎八に言ったオノラという人も、このタイミングで失脚し、公職から退いたようだし。
だが、治郎八は「侵略者ドイツから自由独立を守る」という目標のもと、草の根レベルで
窮地に陥った人を救ったりしたようだ。かつて培ったフランス(とイギリス)での
人脈を駆使して。

杉浦千畝のような大活躍、とは言えないかもしれないが、
日本、フランスを大事に思って、まっすぐに行動し後悔はなかったのだろう。

わたしは晩年、零落したのだと思っていたが……
たしかに貧乏になり、生活に困った時期もあったようだが、それなりに満足出来る
生活を送ったようだ。
30歳年下の女性と結婚。彼女の実家である徳島へ帰省中、脳溢血を発症。
その後は徳島で暮らすが、後遺症からもだいぶ回復し、瀬戸内晴美、獅子文六などの
インタビューを受け、小説の題材になったりしている。

わたしが良かったなあと思うのは、その後2回、フランス政府から招待を受けて
渡仏出来たこと。薩摩治郎八の生涯で最大の仕事はパリでの「日本人会館」の建設だが、
フランスはその恩義に報いたといっていい。
それまでホラ話のような思いで聞いていた治郎八の思い出話を、
奥さんが「本当だったんだ!」と知って驚いたとか。
その時の治郎八は至福だっただろう。

わたしが知っているくらいだから、多分薩摩治郎八も何かの歴史番組で取り上げられたことは
あるんだろうが、もう少しちょくちょく取り上げられてもいいかもね。
無駄に再現Vの制作に金がかかるということはあるにしても。

今後、本人の著作を読むつもりだが、やっぱりホラ話に聞こえるんだろうなあ。
これだけ波乱万丈の人生を送った人だから、内容自体は面白いんだろうが、
どうも文才はあまりなかった人らしい。まあ文才を磨く暇はなかったよね。
ほんの少年の頃からイギリスへ留学し、その後もフランス語を勉強しこそすれ、
ずっと遊んで暮らしたんだから。日本の文章を読む機会も少なかっただろう。

 

この本の終盤に突然「河盛好蔵」の名前が出て来たので、おやおやおや、と思った。
ここ一年くらい、随筆選を心愉しく読み進めている文学者なので。
鹿島茂はこの人についてポジティブに語るのか、ネガティブに語るのか、
ドキドキしながら読んでたが、半ページくらいで特にどちらともなく終わって
しまったので肩透かし。

でも、薩摩治郎八と河盛好蔵はほぼ同時期にパリにいたらしいよ。
かたやパリ社交界の花形、かたや一介の学生で2年程度のパリ滞在ということだと
面識があったかなかったかもわからないが、
鹿島は治郎八帰国後の「新潮」「芸術新潮」のインタビューを、
河盛のアイディアではないかと推測している。
「河盛のジャーナリスティックな嗅覚は非常に鋭かったので」という一文が、
底に好意をたたえたものなのか、皮肉を含んでいるのか、どうなのか。
鹿島の河盛評をもっと読みたかった。

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