45年ぶり、生誕地・和歌山での回顧展だそうだ。
まあこれに行ったのは山田五郎の口車に乗せられてしまっただけなのだが、
行って良かった。なにしろ日本画はなかなかいいのを見られないから。
和歌山県立近代美術館は――
黒川紀章設計だそうだ。事前に知っていて、若干覚悟して行ったが、
それほど尖った建築ではなかった……と思う。あんまりよく覚えてないけど。
隣の和歌山県立博物館も黒川紀章、だが今は閉館中だった。
「熊野観花(ゆやかんか)」という作品は、多分横が1メートルちょっとくらいの
サイズだったと思うが、そこにだいたい20人ほど人物が描かれていた。
「熊野」は謡曲。能で演じられる演目。
登場人物は平宗盛とその愛妾・熊野(その他大勢)で、だから装束は平安時代のもの。
その装束の模様が、それはそれは細かい。それをとても丁寧に描く。
……と興味を持った絵にこの調子で一枚一枚言及していくと書くの大変なので、
まずは全体的な感想を。
派手ではないんですよね。多分観山はね。
線が繊細。時期によって、作品によって絵の雰囲気はさまざまだったが、
初期の方は特に細かい描きこみが凄かったと思う。
ただ、その線の繊細さと細かい描きこみが絵(や屏風など)のサイズと合っているかというと
それはどうかなあ。本人が、描いている距離からしか絵を見てないと思う。
離れて見た時どうか、とは思ってない気がする。
早い話、横が1メートル以上ある絵だったら、見る人は2メートル弱離れる。
だが2メートル離れると観山が描いた描きこみの真髄が見られないのよね。
まあそれは目を近づけて見ればいいのかもしれないが、全体をぱっと見た時の
線がだいぶ弱い気がする。屏風にしてもそれは同じ。
でもこの人は、いろいろなパターンの絵を描いてるなあと思った。意外に。
金屏風にパッキリ描いた絵は上記の不満はまったくなく、いいバランス。
やっぱり上手いですよね。根本的にね。
何しろ10歳で描いた「東方朔」が……!これを10歳で!?と驚愕。
昔、ピカソの16歳の絵の上手さに驚いたことがあったが、それに勝るとも劣らない。
完成度という点では一歩(というか二、三歩)を譲るが、10歳で描ける絵ではありませんよ。
10代後半の美術学校での習作も何枚か小さいものが並んでいたが、
線がすっごく正確。むしろカワイゲがないくらい明晰な線で描けれている。
中でも「写生(貝)」のグラフィックデザインっぽさは、まるでデジタルで描いたよう。
色使いも繊細でね。線のきれいさ、正確さと色使いがこの人の真骨頂。
特に薄紅が好きだったなあ。可愛らしく、甘すぎない素敵な数々のうすくれない。
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このエキシビは、何枚かの絵を除いてほとんどが撮影可。
喜んでいろいろ撮って来たんだが、家に帰ってパソコンで見てびっくり。
……なんとヘタクソな撮り方だ!こんなに下手に撮っていたとは。
なので、一応写真は挙げますが、実物はもっといいものであることをお含み置きください。

「東方朔」
これが10歳の時描いたというのだから驚き。まあお手本を写したものではあるだろうが。
わたしは今の今まで「とうほうさく」と読んでいたが、「とうぼうさく」だそうですよ!
前漢時代の政治家。実在の人物だが、時代を経るに従って仙人化されていく。
日本画でたまに見る画題なはず。
……ひどいね。この写真。

「熊野観花(ゆやかんか)」
これが先述した熊野の絵。
展示は目の高さで装束が見られるからいいものの、ガラスの向こうとかにあったら無理。
これを描くために観山は有職をだいぶ勉強したはず、と解説があった気がしたが、
貴女だったら衆人環視の中で車の外に出ることはありえないだろうが、
権力者の愛妾といえども、白拍子とかなら人前に出ることも普通なのか?
昔の絵巻物を彷彿とさせる雰囲気の絵。でもそれにしては描かれた人みんな個性があるね。

「ラファエロ作小椅子の聖母模写」
これはまさに「小椅子の聖母」の実物大お土産ポスターが20年くらい経って
色がさめた成れの果て、って感じだなあ。褒めてますよ。
違うところといえば、聖母の口元とイエスの目の位置がうっすら、
洗礼者ヨハネの表情が結構違うが、それだけ。やっぱり上手い人なんだ。

「小倉山」
これ、描かれている人は藤原定家です。だから小倉山。
でも定家だったら、なんでこんな山の中に座っているのかと疑問を感じるなあ。
定家は多分、インドア派だと思うんだが……

あと、手前に枝が来るのは遠近感の表現で普通にあるとしても、
ちょっとその枝が太すぎ、数が多すぎなのではないか……。なんでこう描いたか。
と、最初に見た時に思ったのを思い出した。
定家は狷介のイメージがあるが、あんまりそのイメージは出てませんね。
観山はどうして定家を描いたんだろう。

蔦の紅葉、そこの白がかなり個性的で素敵だと思うんだが、それにしても茎を白く描きすぎ、
量を描きすぎなのでは?葉っぱ部分が落ちた茎をこんなにたくさん描いたのはなぜ?
と考えながら見ていた。答えは出ないと思うけど、こういうことを考えながら
絵を見ているのが面白いんです。

「雨中鷺」
色のきれいな観山は、白黒で描いてもきれいなのであった。
小品ながら、いや、小品だからこそこのささっと描いた感じがすっきりして気持ちいい。

「ディオゲネス」
びっくりする画題だが、英国留学、ルネサンス絵画の模写がこんなところに活きている。
身体の部分の線は達磨図の援用っぽいですよね。そして顔は写実。
ディオゲネスはこんなに穏やかな顔をしてただろうか、というツッコミはありつつ。
思索の神さま、というべきにやあらむ。

「闍維(じゃい)」
闍維とは火葬のことだそうです。ここでは釈迦の火葬。解説には
「壇に火をつけても燃えずにいたが、弟子の迦葉が祈りを捧げると棺の中から自然に
煙が立ち上り、天から花が降って来た」という場面を描いているとありました。
この絵なんかは、サイズと絵の描き方が若干ちぐはぐな気がした。
少し離れて見ると色がちょっと薄すぎると感じるんですよね。
中央手前の3人の人物はいいけれども、せめて左側のもう一人(もう一菩薩でしょうね)も
濃くしてほしいし、肉眼で見ると煙の存在感が足りない気がする。写真より弱い。

手前のお坊さんの間にいる四天王の一人(だろうと思う)の輪郭が、炎の照り返しを
受けているように光っているが、炎が上がってなくて煙だけなのにこの表現は
必要だったろうか……とまたツッコむ。
そして、今回のメインヴィジュアル作品はこれでした。

この写真だけはまともだったねー。良かったねー。まあ落日は映ってないわけだが。
「弱法師(よろぼし)」です。謡曲「弱法師」より。
これが観山の最高作なんでしょう。おそらく。
波乱万丈の人生を送って来た盲目の法師が、難波の海に沈む落日を観想している場面。
――わたし、多分、前に観山見てましたわ。記憶を掘り起こせば四天王寺で。
複製という可能性もあるが。「小倉山」も見た気がするなあ。
なので人生二度目の(複製じゃなかったら)「弱法師」。
正直、主人公のヴィジュアルはちょっと誇張をしすぎではないかと思っている。
鼻と口がちょっと気持ち悪いのよね……。なぜこういう造型にしたのか。
しかし描き方としては秀逸。その髪の毛一本の細かさも、くせ毛も、
やさしく閉じたまぶたも、日に当たらない(当たるはずだが)白い肌の質感も。

ここから見ると、立体感が楽しめる。屏風はこういう見方を味わって吉。
わたしは梅が好きで。

だが、実はこの梅にはもう少し存在感を付与しても良かったんじゃないかな……。
さっきと逆のことを言ってるかもしれないが。
落日と弱法師をメインにするために梅を控えめに描いたということなんだろうけど、
弱法師と重なる梅以外はもう少しメリハリをつけても良かった気がする。
淡すぎて物足りないのよ。
他にも数々いい絵はあったし、写真を撮って来ただけでも倍以上あったが、
まあもうだいぶ書いてるしね……
観山の絶筆。

「竹の子」
すでに体調が悪いなかで描き続けた絵。線と色の美しさは死の直前まで
衰えなかったんだね……。享年57歳。
エキシビは2時間強見ました。
声を大にして言いたいが、ほんとにありがたいことに、――ものすごく空いていた!
期待の20分の1、予想の50分の1しか人がいなかった!
なのでゆっくり味わって見られて、ものすごく満足。わざわざ行って良かった。
前期と後期でけっこう入れ替えるから、見られなかった絵もそれなりにあるけれど、
それはまあエキシビである以上しょうがないでしょう。日本画だしね。
下村観山を堪能した、贅沢な時間でした。
今後も日本画は積極的に見に行けたらいいと思う。早く宮城県美術館、再開してくれ。

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