こういう重いテーマは苦手である。読みたくないなあ……と思いつつ、
何しろ池澤夏樹個人編集世界文学全集のラス2なので、最初から完全にスルーという
選択肢はなかった。がんばってチャレンジしました。
水俣病という主題について――わたしが言えることは何もない。
ガワだけに言及します。
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これはたしかに文学作品。
単行本2段組、750ページ。なかなか分量があります。
一部「苦海浄土」
二部「神々の村」
三部「天の魚」
このテーマにしては、そしてこの分量にしては、読みやすく感じました。
読みやすくはいいすぎですか。読むのに苦労するわけじゃなかったけど、
時間がかかりました。まあまあマメに読んで3週間くらいだったかな。
1冊3週間となると、富士山級ですがねー。
全体的な内容は多分、3種類に分かれると思う。
1.風光について詩的に述べた部分。
2.水俣病患者たちが方言で語る心情。
3.水俣病問題についての実際的な推移・実録。
1は一番文学的だと思った。美しい文章。使っている言葉はだいたい日常語の範囲だが、
その土地の雰囲気も歴史もあいまって、古事記的な古代めいた風光に感じる。
海と、海と生きる人々。魚の生命力。その生命力を取り入れて大地に生きる人々。
2は一番分量が多かったかもしれない。水俣市の、病が発生した地区の人々の会話。
彼ら、彼女らの言葉も古代めいている。方言が――熊本方言?水俣方言?――
ほぼ方言で語られているので、ある意味呪文のようである。
なかなかハードめの方言なので、意味が取れない文章も時々ある。
しかしそれは問題ではない。永遠に紡がれ続ける言葉。身体から発せられる呪文に聞き入る。
3はある意味で明晰、ある意味で混沌としている。
この作品には明確に欠点――というか、至らない部分があると思っていて、
それは、水俣病の概要が説明出来ていないこと。
「その時起こったこと」については明晰だが、それ以外は触れられていない。
しかしそれは仕方ないとも言える。
水俣病の全容を詳しく記述するのは困難なことだろう。
それに加えて本作品はルポルタージュではない。
文学作品として、そして外側からではなく内側の立場にいるものとして、
ルポなのか、文学作品なのか、どちらかを選ばなければ書けなかったと思う。
だが、少なくとも筆者の立ち位置は、わかるようにもう少しはっきり書いて欲しかった。
わたしの理解では、石牟礼道子は当時水俣病患者多発地帯から「四里」(たしか……)
離れた地に住み、家族・親族に水俣病患者はいない。本人も違う。
だが父も本人も患っており(何の病気かはたしかはっきり書いてない)、
主婦で、市民団体に属し、病気多発地帯へ足しげく通ってはいるけれども、
個人名ではなく「あねさん」と呼ばれる存在。道子さん、ではなく。
ここの距離感がよくわからず、読んでも最後までわからなかった。
四里というわたしの記憶が正しければ、16キロくらい?
遠いといえば遠い、近いといえば近い。海沿いであることを考えれば海続きといえる。
他人ごとではない。でも完全に中の人かというとそれも違う。
この微妙な距離感を説明してくれないと、読んでいて立ち位置が定まらない。
それを考えると「水俣病問題」を掴みたいなら本作を最初に読むべきではないですね。
内側の視点で書いているから、日本窒素側の行動・対応はほとんどよくわからない。
もちろん実際に見た・聞いた日本窒素の言動は詳しく書いてあるのだが、
見てない・聞いてない部分はたくさんあるわけで。そちらの部分はわからない。
すごく知りたいと思いながら読んでいたのは、「水俣病の発生が確認されてから、
日本窒素の排水は止まったの?」ということだった。でも言及はない。
あと、それに関連して、時系列で書いてないのも欠点といえば欠点かなあ……。
完全に時系列ではないとも言えないが、時系列といえるほど「出来事」に焦点を
当ててないというか。欠点というよりわたしの不満か。
さらに関連して、一部から三部を読み通すのがしんどい場合は、
とりあえず読むのは一部だけでもいいかもなあと思った。
もちろん三部まで読み通すのが望ましいけど、とりあえず一部だけでも
その作品世界には立ち会える。
神話的な。古代的な。文学作品。
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中身にもほんのちょこっとだけ触れる。
かなり冒頭の方で、国会議員が水俣病多発地帯に視察に来たことが書かれている。
その際の地元の人の挨拶が、「国会議員のお父さま、お母さま」という呼びかけから
始まったことに衝撃を受けた。
この時代の、この地域の人たちは、国会議員というのものを、自分たちを守ってくれる
慈父慈母にも等しい人々だと思っていたのか……
昔の議員たちは道徳的に今よりずっと優れていたんだろうか。
水俣問題は、どんな立場の人も果てしなくグラデーションになっているところが
本当に難しい点だった。患者側も。水俣市民も。協力者たちも。
国と会社の責任は断罪されるべきものとして。
今ならネットであっという間に拡散されて、良くも悪くも大騒ぎになることでも、
当時は誰も知らない、隠すつもりなら隠せると思える話だったことが恐ろしい。
でもこのネットで網羅された現代でも、隠れている巨悪はいくらでもあるんだろうと
思うとそれも恐ろしい。
日本窒素が工場排水が原因であることをなかなか認めず、あまつさえ係争しているその間、
別な地域に排水を流したことで被害が拡大したのも恐ろしい。
そしてWikiを読むと、2024年でさえまだ損害賠償を求める訴訟がある
事実そのものが恐ろしい。

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