一の声・二の声・三の声、という独白が、交代しながら自分の事を語り続ける話。
読み進んでいくに従って、一の声は本阿弥光悦、二の声は俵屋宗達、三の声は角倉与一であることが
わかってくるが、……ダレ?角倉与一って?
知りませんよ。了以ならかろうじて教科書に載っていた記憶があるけど。
一の声と三の声の書き分けが出来てないなあ、と思いながら読んでいた。
やっぱりこういう書き方をするのなら、内容で判断するのではなく、どの行を読んでも
何の声なのかすぐわかるような書き方が望ましいと思うのよ。
宗達だけは若干無頼なのでわかるといえばわかるが。
……でも辻邦生ってそもそも書き分けとか、あまり上手くないですよね。
西行について書いた話でも、語り手が次々と変わっていくんだけど、全然書き分けてなかった印象。
それは、小説としては不満ではあるところなのだが……しかし、辻邦生はねえ。
辻邦生は小説書きというよりは、自分の言いたいことを書きたいがために
小説という手段を使ってる人だからね。ストーリーテラーとか、そういう方向ではない。
彼が言いたいのはただひたすらに、
この世は生きるに値するほど美しい、ということ。
声はみな一、淡々と、磊々と、切々と、美しいものについて語る。
森羅万象はみな美しい。その美しさがあれば人生に意味はある。
そのことを声を限りに、声の続く限り、他者に伝えたかった人だと――
わたしは辻邦生をそんな人だと思っているので、光悦も宗達も与一も、全部辻の声にしか聞こえない。
美しいものを見たくなったよ。
元々はヨーロッパ美術が好きだったが、ここ10年くらいで日本美術の方が
目に喜びを与えてくれるようになっている。
プライスコレクションが近場にあれば、こんな時は「紅白梅図屏風」を見に行くけどな。
しかし絵描きでもないのに、辻邦生は絵描きになったように絵描きの心を描く。
それがほんとの絵描きの心なのかどうかは、絵描きではないわたしはわからないが、
相当見入ったんだろうな、彼らの作品に。
刀剣についてはあっさりした書きぶりだったが。刀剣はさすがに守備範囲外ということなんだろう。
励ましてもらっている気がするのに、それに応えられなくていつも残念に思う。


コメント