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◇ トーマス・マン「トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す」

はるか昔に、テレビで「ヴェニスに死す」の映画を見た。
今に残るイメージで言えば、ものすごいかったるい映画でした。時間も長かった気がする。
その印象で長大な小説を想像していたのだが、「トニオ・クレーゲル」と「ヴェニスに死す」の
2編で文庫本200ページ。中編といっていい長さの作品でした。
あれ?こんなもん?肩すかしと言えば肩すかし。

トーマス・マンの、名前だけは昔からとても親しいものだった。
何故かと言えば、……昔、北杜夫のエッセイをずいぶん読んだからね。
松本高校時代の話にも「マンが、マンが」と出てくるし、親友の辻邦生も負けず劣らずマン好きだし。
だがわたしは個人的に、ドイツ的なるものがそれほど好きではないらしく……
唯一好きだったのはヘルマン・ヘッセだけではなかろうか。

と、書こうとしたが、wikiに載っているドイツの小説家の名前を眺めて見ても、
知ってる名前すら数えるほどしかなかったわ。ヘッセ以外だと多分10冊内外しか読んでない。
そんな状態でヘッセ以外はアウト、なんて言えまへん。
とにかくマンも手を出す気にはなれないまま、長い年月が過ぎる……。

で、長い年月が過ぎた後、今回初邂逅。

……うーん。一体どこが良くてそんなに熱い支持を集めているのかよくわからないなあ。
特に「ヴェニスに死す」の方がわからない。最初から最後まで妄想大魔王で、
自分の中の理屈をこねくり回し、なんかもう「そんな理屈はどうでもええねん!」と言いたくなる。
好きな人は、そういう部分に反応しているんだろうけど。

だってさ、唯一生きた存在であるはずの“タドゥツィオ”(これはたしか映画では“タジオ”。
美少年の名前としてタドゥツィオはツラいなあ……)だって、ものすごく観念的でさ。
単に……なんだろうな、単に、記号に似た存在でしかない。
観念的な小説は小説で有りだろうとは思うが、全然反応出来なかったなあ。

比べれば「トニオ・クレーゲル」の方はまだなんぼか……
まあ、こちらも大同小異だけどね。こちらは、観念というよりはむしろ妄想だろうけど。
でも青春の自意識過剰ぶりを懐かしく思い出せるという点では、多少わからないでもない……
これを読んでいて、辻邦生の「春の戴冠」を思い出した。登場人物の一人が
熱く彼の哲学を語るところ、それを相手が一歩引いて聞いている所が似ている。

ふきだしてしまった部分が一点。
ヅェウス。――何、ヅェウスって?……あ、ゼウスのことか!!
音としてはほとんど同一と言っていいのに、表記が違うだけで全く印象が変わりますなあ。
なんか虚を突かれた。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」ですね。
ま、四十年以上前の翻訳ですから。

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ところで、ちょっとこれを見て。

「魔の山」

笑っちゃった。よっぽど僕秩に送ろうかと思ったが、このくらいのレベルのネタは
いくらでも寄せられているだろうから、自分のブログに載せておきます。

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