1ページ目から心の中で「ううむ」と唸った。
この本は次の文から始まっている。
「お元気ですか。こちらはもうすっかり暖かくなりました。外の気温はマイナス21度。
暑いほどです」
これはヤクート自治共和国(現サハ共和国)に住むテレビ局員のオフロプコフさんから
わたしにとどいた一九八五年四月二日付の手紙です。
以前樹氷を見に行った時に、マイナス12~17℃くらいで、
「これは冗談事ではない」と感じた経験からすれば、マイナス21度を暑いと表現する
人間がこの地球上にいるなんて信じられない。
世界は広いが、実際にそのことがわかっているかというとそうでもない。
しかしこの本を読んで思いました。
――世界は本当に広いのだ。
この本は米原万里の著作歴の最初期にある本で、テレビの企画で訪れたシベリアでの体験を元に
主に地象的な部分を子供向けに書いたもの。
子供向けでもあり、30分もかからずに読み終えてしまうが、書かれている内容には
へえーっ、ほおーっ、ふわぁ、と驚きっぱなし。
米原万里が徹底して、自分が見聞きしたことに焦点を当てて書いているからだろう。
永久凍土地帯に建っている住宅は、地盤が融けたり凍ったりを繰り返すので、
土台から傾いている家が多いとか。
アスファルトの道路を1キロ作るのに、日本円でおよそ一億二千万かかるとか。
マイナス53℃の日にレナ川へ釣りに行った時、日本人は手袋を3枚はめているというのに、
現地の人は釣り糸の扱いを素手でするとか。
釣り上げた魚は10秒くらいで冷凍になってしまうとか。
建物の基礎の杭を固定するにはどんな接着剤を使うのか訊くと、「なに、塩水をすき間に
ながしこむだけのことですよ」……
絶句するしかないような驚異の世界。
もっと驚くべきことは、それを全く驚異とは感じない人が実際に存在しているということ。
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前々から思っているんだけど、人間にとって土地はどういう意味を持っているんだろう。
何もそんな極寒の地にわざわざ住まなくてもいいんじゃないか。
寒いところだけじゃない。砂漠の真中に住んでいる人もそうだし、
しばしば水害に見舞われる地域の人もいるし。
長い年月のうちには、もっと安全or快適なところを求めて、移動したくなったりしないのだろうか。
その疑問は、地震国である我々日本国住民にも当てはまるよ。
やはり住めば都なのか。
それは慣れなのか。
生まれ育った土地は特別だということなのか。
所有しているものに対する執着か。
人間が土地に抱く思いというものは、根本的にはなんなのか、
わたしは今一つよくわかっていない。
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この本の第一章は、米原万里からオフロプコフさんへ宛てた、以下の文章で締められる。
「東京は春だというのにまだはだ寒く、きょうの気温はプラス21度です」
うまい。
この本は、米原万里が亡くなってから、追悼の意味もこめて再編集された。
椎名誠が最後に短文を寄せている。
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