PR

◇ 矢崎節夫「童謡詩人 金子みすゞの生涯」

まずこの本について書こうか、金子みすゞについて書こうか。
いや、まずわたしの金子みすゞに対するスタンスについて書こう。

金子みすゞはいつ頃の話か、急にブレイクした人なんですよね、わたしのなかでは。
それまでちょっとも聞いたことなかったのに、急に本屋に関連本が並ぶようになった。
人気者は避けがちなわたしだが、まあこれは読んでみてもいいかな。
ちらっと読んだ。1冊買ったか。
――良かったけど、しかしたっぷり読み続けるほどの愛着は湧かなかった。

でも当時作られたドラマも見たし、映画も見たよ。映画館で見たかは忘れたけど。
わたしはドラマの松たか子の方が良かったな。田中美里は金子みすゞの素朴さには合わん。

そういう程度のわたしがこの本を読んで、しみじみと感動した。
いや、それより前に「別冊太陽」の金子みすゞ特集で、読む前にすでに感動していた。
この著者が、忘れ去られていたみすゞを蘇らせたんですよ……!
この人がいなければ世の中は金子みすゞを知らない。もちろんわたしも。

この人が、若い頃に(雑誌で)読んだ金子みすゞの足跡を追った。
しつこくしつこく。詩の雑誌の投稿者なんて儚い存在なんですよ。
まとまった資料などない。探して探して、古書店をあさり、縁の地、下関にも足を運び、
人を通じて、ようやくみすゞの縁続きの人を探し当てた。

東京に住む著者が、下関に電話をした。「明日朝いちばんの新幹線に乗って行くので
お話を聞かせてください」と気負いこむ若者(?)にその人は言った。
「私が話すより、東京にはみすゞの実弟がいるから。そちらを訪ねなさい」
その実弟なる人は劇団若草の創始者の上山雅輔だった。
劇団若草は2018年につぶれてしまったけど、それまでの70年を生きた名門劇団。
高橋一生、山本耕史、吉岡秀隆なども所属していたことがあったらしい。

「朝いちばんの新幹線に乗って」という逸った心に共感する。
ようやく見つけた細い糸。今のようにスマホがあるわけではない。
LINEやメールで別方向から連絡をとれるわけではない。
電話番号を一つ間違えただけで、もう永遠に繋がらないかもしれない。
とにかくこの繋がりを見失わないように必死だっただろう。
このエピソードが好き。

このエピソードを「別冊太陽」で読んで、これは著者の本を読まねばと思った。

 

※※※※※※※※※

 

そして読んでみた。

――この本は読むべきですよ、金子みすゞに興味がある皆さん!

この本にはね。みすゞへの愛と温かさがあふれていて、それも堪能できるし、
とても細かいところまで調べていて、ルポルタージュとして秀逸。
正直言ってここまで調べているとは思わなかった。驚異的。

著者の矢崎節夫は児童文学作家、童謡詩人。翻訳もしているらしい。
その文章の温かみがみすゞへの思いをひしひしと感じさせる。それはまあわかる。
しかし児童文学作家がこんなに突っ込んだルポを書けるとは思わなかった。

本当に多数の人にインタビューしたんだろう。
本に登場する人だけでも30人くらいはいるんじゃないか……。
登場しない人もいるかもしれないから、50人くらいはいる気がする。
「いや、もっといた」と本人は言うかもしれないけど。
のべで言えば何百人だろうなあ。

もう何十年も前に無くなったみすゞの実家の間取りまで載せるんですよ……
これは時間がかかったろう。
しかも、あと出版するばかりになっていた段階で、雅輔の日記が探し出されて、
その内容を反映するために4年出版が延びたという……
まず1冊目を出して、その後に2冊目を出すという手もあったのに。誠実。

弟への丹念なインタビューも良かった。やはりみすゞのことを一番知っているのは
弟だったと思う。でもその弟でさえ、みすゞの心までわからなかったのが
みすゞの不幸ということか。

文章も温かみがあるのよねえ。みすゞが好きで好きで大好きで。
こういう情熱がある人によって蘇ったみすゞは、幸せな詩人だ。
人生に不幸だったかもしれないが、後世に知己を得た。

 

※※※※※※※※※

 

金子みすゞの人生には。その繊細さが幸福にも不幸にも働いた。
もちろん幸福は、詩を書かせたこと。
不幸は、他人に気兼ねして自分をわがままに生かしてあげられなかったこと。

そんなに我慢しなくたって良かったのに。
心を殺して生きるつもりで結婚しなくても良かったのに。

そこまで追い詰められた状況ではなかったと思うよ。世の中にはどうしても
逃れられない状況で仕方なく道を選ばせられることはあるが、
あのみすゞの場合は、結婚から逃げようと思えば逃げられたはず。

扶養家族がいたわけでもない。それはたしかに、後妻に行った母は
多少困ったかもしれないが、別に姑がいるわけでもなく、
わがまま放題の末っ子が父より母の味方をするだろうし、
みすゞひとりなら家を飛び出しても何とかなったのではないか。

それは誰も傷つけずに、とはいかなかっただろうけど。
経済的にもばくちだっただろうけど。

でもこの人は自分を諦めた。
希死は若い頃からあったのかもしれない。自我を主張せずに諦めて生きるという
生き方が身についていたのかもしれない。それがみすゞを殺した。

これさえあれば生きられるかもしれない文学への志も、
心無い夫の禁止によって奪われてしまう。
真面目なみすゞがこの時点で、「見てなきゃいいじゃん?」的に
いい加減に対応していたらそこまで追い詰められずに済んだんだよね。

「別冊太陽」の娘のインタビューで語られているのは「父は別に悪い人ではなかった」。
父と母は気性が合わなかったのだと思うと。母の記憶は何もない娘。

娘は、自分をおいて死んだ母に「自分を愛してなかったから一人で死んだんだろう」と
ずっと恨んでいたそうだ。みすゞにとっては一番つらいこと。
だが、死をもって娘の養育権を渡さないという選択は、外野から言えば
責任の放棄だからね。それしか方法がなかったとは思わない。

義父や母、弟へ訴えて、すがりついてでも協力をしてもらう道もあっただろう。
逃げ出す道もあっただろう。
――でもこの人は病気だったんだよね。余命がどうこうとまではなかったかもしれないが、
かなり重症ではあったようだ。
体力も経済力もない場合、諦めたくもあるよね。若い頃から死を願っていたならなおさら。

みすゞの人生は切ない。もっと幸せになれる道はあったはずなのに。
その道を選ぶには、彼女は控えめすぎたのかもしれない。
それは優しさより、誠実さより、弱さだったと思う。
でもその弱さ――繊細さが詩を書かせたのだから、やはり幸福と不幸は表裏一体なのだ。

 

 

……しかし、前々から疑問に思っていることがある。
わたしは「童謡」といえば、「子供向けの歌」のことなのだが、
作品が書かれた当時、歌になってはいませんよね?
歌になったものはあるかもしれないけど、ほんの数曲or近年になってからですよね?

どうして「童謡詩人」という言葉になるのかなあ。
素直にいえば「童詩」。だが「〇〇詩人」という言葉にはつながらない。
だが童謡詩人というのは違うのではないか……というのが昔からの疑問。

 

 

コメント