この間の「迷宮美術館」のあるコーナーで、山本芳翠をとりあげていた。
初耳の人だが、この人は洋画家だそうである。
草分けに位置する。美術のテスト的には「近代洋画の父」と言われる黒田清輝の先輩に当たる。
「迷宮美術館」を見ただけで、ナニゴトかを語るのはそりゃ軽率だけれど、見ていて心が動いた部分があった。
「これからは西洋画だ!」と、西洋画を学ぶためにフランス行きの船に密航したこと。
密航がばれた時、乗り合わせていた松方正義が、芳翠の話を聞いた上でそれを許し、さらには役目まで与えたこと。
黒田清輝の才能を見抜き、画家への道を志すよう説得したこと。
フランスで学び、あそこまで描けるようになったこと。
しかし帰国後は、日本美術復興運動の時代となっており、苦労を強いられたこと。
”船のへさきに立つ人”の人生ですなあ。
タイタニックの有名なシーン「I’m flying!」(だよね?)は、後ろでディカプリオがしっかり支えているから
出来るお遊びなのであって……一人であれをやろうと思えば、船から転落する危険と隣り合わせだ。
そりゃ、自分の目の前にあるのはただ水平線、見える世界を一番先に進んでいく高揚はあるだろうけど、
危ないですよね。でもその危ないことを芳翠はやった。
ずっと時が経ってから、第三者としてその姿を見ると、その心意気が非常に輝いて見える。
才能もあったし、努力もした人なんだろう。「裸婦」はきれいな絵だ。
同時代の画家のブーグローなんかは、エッチくさくて好きになれないが、山本芳翠のは
裸の美しいところだけを取り出して見せてくれていて、素直に眺められる。
日本人が、よくここまで描いたと思う。……もっとも、この頃の日本人が描いた西洋画自体に対しては、
わたしは微妙な感情を持ってしまうのだけど。
まあ「始まり」がないと「その後」もない。始めの一歩として、その存在意義は大きい。
だが、日本美術復興運動……。
日本美術復興運動というのは、フェノロサと岡倉天心の例のアレだそうだ。
あれがなければ、日本人は日本の美を、あの時点で手放してしまっていた可能性もあるから、
わたしとしてはフェノロサと岡倉天心には感謝したい。よくぞやってくれたという気もする。
が、それと、芳翠の立場はベクトルが反対。……どちらの立場も意義があると思うだけに、切ないなあ。
後世から見れば「結果的にこうなっている」とわかっているから、まだいい。
しかしフランスから帰った時の芳翠は、何度も自問したことだろう。
「今までやってきたことは無駄だったのか?」と。
信念を持って歩んだ人のようだから、逆境のなかでも心の奥底では迷いはなかったのかもしれないけど、
やっぱり味気なかろうなあ……。凱旋気分での帰国だっただろうに。
まあ、色々な苦労ののちに最終的にはそれなりの場所に落ち着いていくのだが。
彼が、自分と黒田清輝について言ったことが良かった。正確な言い回しは忘れてしまったけれど、
黒田を真打と位置づけ、自分を日本洋画における前座とみなした。
一度へさきに立った人としては言い難い言葉ではなかっただろうか。
それとも、一度へさきに立ったからこそ、言える言葉であったのだろうか。
ずいぶん経ってから、彼は「浦島図」というものを描いている。
テーマも、彼の人生とは切り離せないものだとは思うが、あえて絵のみで印象を言うと……
咀嚼しましたね。こういう作品を経て、日本洋画の現在がある。
心惹かれたので、山本芳翠について書かれた本でも読んでみようかと思っているのだが……
しかしあと300冊後くらいになりそうだな。ううむ。
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