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◇ 夏目漱石全集7「行人 満韓ところどころ 思い出す事など」ちくま文庫

「行人」はタイトルからして意味がわからん。「行者」のイメージに引きずられるのか、
仏教系の言葉かと思ったら、……いや、「ぎょうにん」と読めば「行者」のことになんですね。
「こうじん」と読めば、道を行く人。通行人。旅をする人という意味。
作品としては「こうじん」と読むらしい。
うーん。どういう意味をタイトルに込めたのか……
ここがわからないってことは読めてないんでしょうね。

その上で言わせてもらうが、これは小説としてはダメダメですよ。
いや、わたしは夏目漱石が好きで、日本の文豪としては多分唯一くらいで好きだが、
上手い小説書きでは全然ないと思っている。

わたしが好きなのは「猫」と「三四郎」と「夢十夜」と「倫敦塔」。
「夢十夜」と「倫敦塔」は短編だから置くとして、「猫」もまるまるの小説というよりは
小説の皮を被った日常エッセイみたいなところがあるし、
「三四郎」もぎりぎり成立している、くらいの小説。
「それから」と「門」はけっこう小説か……。
あとはほとんど読み込んでないからなあ。

こないだ読んだ「彼岸過迄」もこれも、ほんとにゆるゆるだもんね。
本作なんかものすごい尻切れとんぼだもんね。
これはもう放り出したといってもいいだろう。実際放り出したんだろう。

多分漱石は、後になればなるほど、自分の哲学を書きたいのよね。
そこが根本で、小説というガワは方便として使っているだけなのよね。
だから本当に書きたいことを誠実に書こうとすると、ガワは二の次になってしまう。

正直、最初の三沢の入院部分なんか要らないもんねえ。全然後半とリンクしてない。
多分漱石はひとまず書いてみて、あとは「筆に訊いてくれ」ってタイプ。
つらつら書いていって、ようやくテーマを見つけて、話が深まって(?)いく。
こういう人はね。新聞小説に向きません。そもそも小説に向かないのでは。

まあでもわたしは、一郎さんの心情や葛藤は面白く読みました。
わたしは漱石の(描く)葛藤は共感できる。頷きながら読める。
ガワの部分を考え始めたらもう全然ダメですけれど。
嫂さんも書き足りないし、一郎も書き足りないし、そもそも二郎がこれから
どうなるのか、どうするのか、さっぱりわからん。

……だが、この終わりぶりにはびっくりですよ!!
これでいいのか!漱石は百歩譲っていいとして、いいんですか、朝日新聞は!
まあ今さらダメともいえん。もう100年以上前に連載終わってるんだし。

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そういう意味では随筆の方がずっと安心だね。

「満韓ところどころ」は紀行文だし、そんなに苦労せずに書けたんではないか。
書きたいかどうかというと、それほど書きたくはなかったかもしれないが。
義理か生活のたつきで書かなきゃならんかったんかね。

面白かった点は、満州の風俗。まあ上へ上へ扱われている漱石が見た範囲の風俗だから
(それに漱石は特にジャーナリスティックな性向はない)、範囲としては狭いだろうと思うが、
その代わりに、漱石の交友関係がそこそこわかるというのは面白み。

当時の大学、帝大は今と違って本当に日本の最高学府、エリート養成所だったから、
そこを出た漱石が旅行で行くところのほとんどが、
同級生や同窓生がエライさんをやっている組織。

特に今回頻繁に出て来る是公――わたしはよく知らんが、中村是公といって満鉄総裁らしい。
これが仲の良い学友。是公、是公と昔から呼び捨てだが、周りが総裁総裁というから
遠慮して自分も総裁と呼ぶ、なんてくだりがある。
学友の漱石からの視点で見るとただの友達で血が通う。ちょっと楽しい。

――が、こんなに胃が痛い胃が痛いと言っている人が長期旅行はしない方が
良かったんじゃないかねえ……。
まあ100年前に死んだ人の話を今さら言っても仕方ないが。
読んでて、「もう家へ帰れ」と何度言いたくなったか。

みんなもてなそうとして宴を企画したり、当然するでしょう。
食いしん坊だから、出されたら食べたくなるでしょう。
若死にでしたよ。もっと生きて欲しかった。
老年期、どんな作品を書くのか見たかった。

※※※※※※※※※

「思い出す事など」は、その胃病を原因とする大喀血をした後にかろうじて生還し、
その時のことを振り返って書いた随筆。
まあ本人だし、時間がだいぶ経っているので言えることではあるんだろうが、
だいぶユーモアに寄せてますね。そんな呑気な話ではなかっただろう……

だが結局、胃病により早死にしてしまうんだから、後世で読んだいる我々は
「その後、何とか養生していれば……」と思いますよ。

まあとにかく漱石は好きですよ。ちくま文庫版はあとは10巻だけ。
その後、恐怖の岩波の底本に移行します……

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