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< アーヤと魔女 >(テレビ視聴)

けっこう面白かった。飽きずに見られた。

その前にドキュメンタリーをやってたんだよね。駿と吾郎の。
クリエイター同士の父と子というのは壮絶なんだろうなー。しかも父が駿。
おそろしい。

宮崎駿の子どもにはなりたくないと思ったよ。
才能的にも性格的にも、周りを食い荒らすような激しさがある。
彼は大樹だけれど、そのために周囲の養分をすべて吸い取ってしまうのではないか。
世に長く残るような人には大なり小なりそういうところがあるような気がする。
そういう親が身近にいて、同じ土俵で勝負をしようとは吾郎は無謀な人だと思った。

わたしはジブリがとても好きだったんだけど「千と千尋の神隠し」で嫌いになり、
「ハウルの動く城」で、もうジブリは見ないと決別したので、
それ以降の作品は長らく見ていなかった。
なので吾郎作品は見ていない。悪名高き「ゲド戦記」も見ていない。
つい去年かな、ようやく「風立ちぬ」だけはテレビ放送を録画して見たが。

なので、ジブリという名前に対する思い入れはだいぶ減っていたんだよね。
駿に(クリエイターとして)不肖の息子扱いされている吾郎が
どこまでやってくるのかという興味が主だった。

そうしたら、この作品はなかなか悪くはない。
むしろ駿がそこまでけちょんけちょんに貶すほどではないと思った。
貶したからこそこのクオリティまで持って来られたというのはあるかもしれんが。

CGアニメになるのは仕方ないんじゃないかなーと思うよ。
やっぱり世代差がある。駿は手書きセルアニメを知り尽くし、その可能性を
驚異的に広げて作品を大きくした人だけど、そういう人がセルとCGを比較した時と、
物心ついた時にはCGもあり、CG技術が大きく発展するところを見て来た吾郎では
選ぶ道は違う。

セルは職人の世界。CGもわたしが知らないだけで職人技がたくさんあるのだろうが、
セルよりも万人が参加しやすい世界だと思う。またそうでなければならない。
今から始めるにあたって、セルというのは選択肢としてかなり難しい。
ジブリが恒常的に作品を作り続けるなら別だけれども、その時その時
集まっては解散するという形だとセルアニメのノウハウは蓄積されない。

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眼で見てるシーンの旨味はかなりあった。
例によってわたしは、舞台がイギリスってだけで3割方評価が甘くなるんだけど。
なので、建物も内装も、教会の尖塔も、見ているだけで楽しかった。

内装も良かったと思いますよ。子どもの家の温かみ。リアリティはないけど。
魔女の家のごちゃごちゃコッテリ感も悪くはないと思った。色使いは好きだった。
ちょっとあれですよね、イバラードの色合いを思い出させますよね、
「耳をすませば」の。

キャラクターは……ぎりぎり、魅力的だと思ったな。
事前に見たイメージ画だと全然魅力を感じなかったけど、生きて動くアーヤは
意外に良かった。

……が、話ははっきり言ってダメダメだなー。
ストーリーに魅力があるとはいえない。1時間半かけてアーヤが成長したわけでも、
魔女やおじさんが改心したわけでもない。3人が仲良くなりました、ってのは
後味のいい終わり方ではあったけれど、でも魔女が優しくなったのも
根本はおじさんに痛い目に合わされたためだし、その後アーヤに
「操られた」からでしょ。そういう話ではなあ、と思うよ。

問題は2つある。

背後関係が全く語られないこと。
「12人の魔女」と言ったのなら、この12人の魔女を出さずに終わるのは
許されない展開だと思うんですがどうでしょうね?
12人の魔女から逃げるために娘を孤児院に預ける――しかし赤い髪の魔女と
アーヤが親子だという明白な関係は描かれてはいない――ならば、
赤い魔女の展開も書くべきだと思うがどうか。

バンドの関係もなあ。バンドという設定はいいと思うんだよ。見た目派手でね。
が、バンドと魔女の関係性がまったく意味がなくない?出て行った経緯もわからん。
おじさんが父親ならもっと意味がある展開になると思うけど、そういうわけでもない。
青い髪の魔女とおじさんがずっと同居しているのも解せん。
この辺全然書いてないんだよね。そりゃあかんやろう。

もう一つの問題は、アーヤの属性「操る」は意味があるのか?ということ。
魔力にしなくても、処世訓として普通に有効だと思うんだけどね。
他人に対して、優しい言葉と行ないで応え続けていればいい人間関係が築ける。
それだけのことで、それは正しい行動だ。

それは魔力でも悪意でもなく、「操る」という功利的な表現でなく、
誠実な心のなせる業ではいけなかったのか。
この辺、原作はどういう風に書いているんだろう。

この2点は大きな問題点で、作品の出来不出来に大きく関わってくると思いますよ。
わたしはこの辺をまったく見なかったことにして「面白かった」と言ってるが、
お金を払って映画館で見たら納得できないことだろう。
話に盛り上がりがないしね。

赤い髪の魔女の声に外国人を持って来た意味がわからない。
別に歌だけ吹替でいいでしょう?似た声の人がいないわけじゃなし。
劇の最初の台詞ですよ。その台詞があんなに下手くそでは、その後見る気が失せる。

「耳をすませば」の、駿の立花隆起用に次いでワケワカラン・キャスティング。
立花隆はそれでも若干のネームバリューがあったからいいけど、
今回のこの人はほぼ知名度はない。使う意味が疑問。

やばいなあ。これ劇場にかける予定なのか……。
コケるよなあ。画しか見どころがないのに、時間をこれ以上長くしたら致命的。
今度こけたら吾郎に3度目はないんじゃないか。
話を完全に作り変えるつもりで臨まないと。

劇場版で魔女界のいざこざを描くつもりでいるのならワンチャン……が、
その際は赤い魔女の声の演技力のなさが致命傷になるだろう。
どっちにしても鬼門。

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