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◇ クーンツ「インテンシティ」

「アカデミー出版の超訳だけはお薦め出来ません」……という個人の文章を読んだことがあるが、
どんなもんだろうと思っていた。わたしもどっちかというと、「超訳」という言葉には
胡散臭さを感じる方だけれども、まず読んでみなければ始まらないしね。
超訳といえば、シドニィ・シェルダンのイメージがあるが……そっちは全く読んだことがない。
というわけで、今回、初超訳をクーンツで。

結論:「チョーヤクというのは、〝超長い要約”」の略である。

わたしはクーンツがそう好きではないし、彼の作品はもう少し短く書けるんじゃないか、と
思うこともしばしばなのだが、それとはまた別なところで、この超訳というシロモノは駄目だったなー。
短くなっているのは基本的に大歓迎なんだけど。
読み進めつつ、なぜこんなに白々しいんだろう?と思う。上っ面な内容。

やっぱりサスペンスなんかは、いかに読み手を引き込み、ハラハラドキドキさせるかが命で、
それが出来なきゃ存在の意味はない。
こういう「要約」ではそれは無理。普通はAからBへ話を進めていく為に、ちゃんとその間を
一歩一歩繋いで、その積み重ねで作品世界を構築していくというのに、超訳はその間の繋がりを
ぷつぷつと切ってしまっている。なのでどこまで行っても力強さを持った作品世界が存在しない。
「些細だけれど大事な」という部分を多分無視した結果、肉付きが大変薄くなっている。

テンプルトン家襲撃時や、男と蜘蛛の関わり、チーナと心理学……
わたしはとりあえずこの辺りで、違和感を持った。読み逃したのかもしれないけど、
男と蜘蛛って事前になんらかの説明がありましたっけ?唐突に蜘蛛の話が出てきたような気がした。
唐突といえばテンプルトン家の襲撃も……この部分、サスペンスとしては非常に美味しいところだろうに、
なんかあっけなく、わけのわからないうちに始まってしまうのだ。
チーナが心理学を学んでることは、たしかに事前に触れられてはいるのだけど、
書いとけばいいってもんでもないからなあ。「ああいう状況で襲撃者の心理を考えるチーナ」
という人物の肉付けをしっかりしておかないと、説得力がない。その辺全然足りないと思う。

一番「……無理。」と思ったのが、あの状況で、チーナがアリエルを自力で助けようとすること。
いや、まず自分が逃げるのが先でしょ。とりあえずは脱出して、警察なり何なり、
他者の助けを求める方が、二人の救出の可能性自体が相当に高くなるんではないか。
勇気とか倫理観とかそういう問題じゃなく、単に無謀でアホに見える。

クーンツは基本的にご都合主義で、それこそ要約すると「ちょっと無理なのでは……」という
話運びもけっこうしていると思う。でも筆力によって、読み手にそこを乗り越えさせてしまう。
(わたしは乗り越えられないので、ご都合主義が気になるわけだが。)
そこはクーンツの優れた点だと思う。が、超訳ではその筆力部分の魅力が大幅に削られる。
そうなると残るのは「ちょっと無理な話運び」だけであるわけで。
駄目でしょ。それでは。

それから、訳とはまた別のところで、この本には文句を言いたい。
装丁がさー……。やる気ある?って訊きたくなるくらい安っぽいんだなー……
いいのか?アカデミー出版。こんなんで。
まあ、こういうのが好きな人もいるとは思うけどさ。しかし表紙に「大好評の超訳」と
印刷させるのは下品だ。帯でしょ、そういう役目は。
あと、どうして訳者の名前が書いていないなんだろう。普通は書いてあるだろうに。
訳によほど自信がないのか?と勘繰ってしまう。

訳というのは難しいもので、わたしも意訳を一概に否定したくはないけれど、
でも自由裁量で訳するなら、もっと上手くやってくれないとね。
「インテンシティ」にしても、もし超訳について何も知らなかったら、これは訳者の落ち度ではなくて、
クーンツの落ち度になるわけだから。
ほんと、訳というのは怖い。過去どれほどの作品が訳のせいで暗闇に沈んでいったことか……
そう考えると、バベルの塔を作ろうとした人間の罪は重い。……とまで言ったら、遡り過ぎるか。

インテンシティ (下)
インテンシティ (下)

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