いつもお世話になっている施設だけれど、行くたびに「もう少し何とかならなかったのか」と思う。
ソフト部分にはさほどの不満はない。蔵書はかなり多い方だし、検索システムはそこそこ使えるし、
おおよその司書の人たちは頼りがいがある。
でも建物自体は……あれは、駄目ですよ。
なるべく私情を廃した上で、間違いなく駄目、な部分は二つ。
1.音響 2.地震対策。……更に出来れば 3.動線 も挙げたい。
1.音響について
図書館に必要な物は何か、ということを考えた場合、
「静か」というのは、かなり上位に来る条件ではなかろうか。
これは言うまでもないほど当たり前のことで、設計段階で確実に注意が払われるべき事柄だと
思うのだが……なんでああなっちゃってるんでしょうね?
まー、反響がすごい。コンサートホールか?と思うほど立派な反響音。
人が普通に歩く足音すら耳に付くというのは、一体どういうことなのだ。
設計者は大空間がお好きなようだ。
大空間自体は、それだけで悪いというものではない。見た目に良いのは確かだし、
使い勝手を考えても、狭い間取りでごちゃごちゃと仕切られるよりは、利用者にとってもありがたい。
が、それをやるのなら音の問題は「当然」考えてしかるべきでしょう。で……考えましたか?
そう訊きたくなるほど、音については無頓着に作られている。
吹き抜けの高い天井は金属。数多くの本棚もスチール。壁は……コンクリート?
床は滑り止めの突起付きのゴムシート。(一部=通路部分は石)音を吸収するものが全くない。
お陰で色々な音を楽しむことが出来る。子供の声、携帯の呼び出し音、潜めて話す電話の声、
石の床を歩くハイヒール、その他、人が移動するに伴って生じるごく微かな、気配。
「利用者はなるべく音を立てないように」というのは大前提だ。
でも、まったく音を立てないというのは不可能なわけだから。
子供は気を使いつつも親を呼ぶし、足音だってたてるし、携帯電話だってかかってくるんだし、
図書館に来るのにハイヒールを履くな、とも言えない。
であれば、構造的に出来るだけ音を抑えることを考えるべきじゃないか。
それなのに、歩く、本をとる、戻す――そんなごく普通の行動に伴う音さえ消せないとは。
一番ひどいのは「ささやきの回廊」状態があることだ。
ささやきの回廊――どこの国の話だったか忘れたが、そういう建物がある。
A地点でのささやきが、普通であればとても聞こえるはずのない遠いB地点で聞き取れてしまう音響設計の建物。
宮城県図書館の場合、A地点は調査相談カウンター。B地点はとある閲覧テーブル。
知らずにB地点に座っていた時、本棚の陰で誰かがそれなりの音量で喋っているのに気づいて驚いた。
電話でもしてるんだろうけど、なかなか終わりそうもないし、うるさい。
ちょっと非常識なのではないか。どんな人か見てみよう、言えそうだったら注意しよう……
と思って本棚の陰をあちこち覗いてみても、それらしき人はいない。
ではこの声はどこから?と辿って行って、着いた先が調査相談カウンター。
年配の男性が、司書の人と話していた。(特段大声で、というわけではない)
A地点とB地点の距離、直線でおよそ15メートルくらい?間にいくつも本棚がある。
それであんなに声が聞こえるのではどうしようもない。煩いということのほかに、
話し手のプライバシーの問題もある。まさかあの距離で話の内容が聞こえているとは思うまい。
自分も調査相談カウンターには時々座るので、愕然とし、さらに凹んだ。
聞かれてたのか……。(聞かれて後ろめたいことはないが、嫌なものだ)聞くほうももちろん苦痛。
※※※※※※※※※※※※
建築家というのは、こういう細かい色々をクリアして、ちゃんとした建物を作るからこそ
エライと思っていたのだが……。どうしても響く材料だけを使うというならば、
超絶技巧を駆使して、ちゃんと音を吸収する構造にしなければ駄目でしょう。
正直ね、床を全部布系統にすれば、状況はだいぶ改善されるはずなんです。
「ささやきの回廊」は調査相談カウンターのバックスペースが反響板の役割を
果たしているんだろうから駄目だろうけど、足音、人間の動作音は間違いなく抑えられる。
カートも――カートについて触れてなかったけれども、多数の書籍を運ぶ時に使うカートがあります。
床のほとんどを占める、突起付きのゴムシートの上をこれが通ると、がしゃがしゃと
非常に煩い音がするんですね。気を使って、ものすごくゆっくり進むか、
あるいは持ち上げて――進むしかない。←これでは全く意味が無い。
付け加えていえば、ゴムシートは、閲覧席の椅子を動かす時も煩いですよ。
そういうことを考えずに、ゴムシートのような非定番を使ったりするなと言いたい。
図書館は、絨毯かあるいは、何ていうのかしらんが、フェルトの固いようなシートが普通でしょ?
目新しさやデザインで採用しているんだろうか。値段が安いの?
メンテナンスはたしかに楽そうではある。が、メンテのしやすさ>利用者の使い勝手 なの?
もしそこでメンテのしやすさを採るなら、他の部分で音を抑える工夫をすべきじゃないの?
ぜひ、設計者である原広司には、数日ここにこもって、使い勝手を自分で体験してみて欲しい。
わたしは初め、この図書館を設計したのは、相当経験が少ない人だと思っていた。
わりと駆け出しで、これほど大きい建物を作るのは初めてくらいの人。
であれば、色々と行き届かなくても仕方ないかな……と。
(だからといって「まあ、いいか」とは思えないが。その場合、より大きな責任は県のエライさんにある)
ところがドッコイ、設計者は名の知れた原広司で、しかもこの建物で何だかいう賞を
いくつかもらっているというこの事実……。
現代建築は結局、見てくれとコンセプトでしか語られないのね、と心からガッカリしたことでした。
建築で大事なのは何よりもまず「使い勝手」であるべきだ。
そんなことって、当たり前のことじゃないの?
建築の良さはそこに暮らして、初めてわかる。図書館は暮らす建物ではないけど、
いかに見てくれが良かろうと、使って喜びのない建物に何の価値があるだろう。
見てくれとコンセプトで建てられたものは、極論すればオブジェでしかない。
それでいいのか。現代建築。
コメント
仰るとおりです
ご来訪&書き込みありがとうございました。
今の日本の建築家は、いい大学を出て、売れっ子の教授に支持し、弟子入りして、パトロン与えられて独立して、実験的なデザインで名前を売り、スターダムにのし上がる。。。ってのが多いです。
中にはちゃんとした方も多数いらっしゃいますけどね^^;
大建築家に頼み込んで出来上がった建物の多くは、雨が漏るとか床が下がったとか、ガラスが危ないとかという、初歩的なものなんですよ。
事実、建築雑誌やデザイン誌ではこういったことはタブーのように報じられません。日経系の建築雑誌では、報道という立場で、色んな建物のクレームやその後などを特集組んで興味深いです。
本当にちゃんとした建物を、適正な金額で建てようと思ったら、日建設計などの大手の設計事務所に頼むのが正解です。
じゃあなんで宮城県図書館を原さんに?と考えれば、色んな思惑が見えてきます。
定禅寺のメディアテークなどは、公開コンペで伊東さんに決まりましたが、あれだって世界的に注目された実験建築のようなものです。公開コンペ自体が、イベントですからね。
まあ、あの建物も話題性といえば、今風で若者向けで、これからの仙台には必要なハコモノなのではないかと思っています。
Unknown
早速のご返信ありがとうございました。(早くてびっくりしました。)
ということは、世の中には「金をドブに捨てているような建築」が
まだまだあるということですかっ!ああ、勿体ない。
無名建築家の中にだって、もっと親切な人はいくらでもいるような気がするのに。
メディアテークもよく行きますが、よくカメラを持って歩き回っている、
いかにも建築探訪という感じの人を見かけます。
わたしはこっちの建物はちょっと好きなので、微笑ましく見守っています。
メディアテークは(見てくれにも関わらず?)
意外に上手く使われているという気がしますよ。
ご訪問いただき、ありがとうございました。