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<SAYURI>

【面白く見られた。】

ここで持ち出すのも不適当かとは思うが、わたしは「ラストサムライ」に悪いイメージを持っている。
実はそれは、作品としての評価ではない。作品としての評価は「アメリカさんが作ったにしては、
なかなかがんばってくれはったな~」という、それなりに好意的なものなのだが、
……あれを見て感動して、「日本の良さを再認識しました!」という意見がイヤでね。
他人の意見だから、まー、しょーがないんだけど、あの映画だけを見て、
「武士道」とか言われた日には……_| ̄|○。。。。。
わたしはそれほど武士道にこだわりのある人間ではないけれど、
あそこで武士道の何が描かれているのか、と言いたくなる。

という過去の経緯があって、今度のSAYURIはどうか?と、ちょっと構えて行った。
「こんなの日本じゃない!」と憤激して帰ってくるんだろうか。どうもそうなりそうな気がするなあ。

……しかし結果は、意外なほどすんなりと作品世界を受け入れることが出来た。

その理由は、自分でもはっきりわからないんだけど。
SAYURIは日本を単なる素材にした映画、として捉えられたからかなあ。
ラストサムライを作ったスタッフは、「我々は日本を描いた」といいそうであるのに対して、
SAYURIのスタッフはそうは言わないような気がする。
パンフレットでも、ケン・ワタナベが言ってましたからね、
「日本というより、ロブ・マーシャルの世界」だと。

いやいや、もっとちゃんと言えば、こういうことだな。
SAYURIで描いたのは、日本に似せた世界だけれど、
「これは日本じゃねーだろ!」と思う部分にも、それとは別な趣きがあったから良しとする。
うん、これだ。

別な趣き。うーん、たとえば花街のごちゃごちゃ感とか。置屋と「おかあさん」のアヤシサとか。
どことなく漂う中国感とか。「芸者の学校」なんか面白かったな。わたしはセット好きなので、
あの学校の建物がけっこう気に入った。
内容で言えば、人間同士の絡まり具合は良かったんじゃないですかね。
後半、話がぐだぐだしていくので、もう少し深く出来てればなと思うけれども……
大どころはダメだけれども、中どころがなかなか面白く、それがゆえに見られた。

役者さんたちは総じて良い仕事、しかしチャン・ツィイーはこの役にはちょっと線が細かったような。
女優さんたちとの競演では光を失くすタイプかも……。まさに野の花の風情の人。
好きなんですけどね。
菅野美穂あたりにこの役をやらせたらどうだっただろう。けっこういいのではないかと思うのだが。
所作や踊りという点で、松たか子なんかが適役だろうが、彼女も競演には向かないような気がする。

ミシェル・ヨーが好きなので、凛とした姿が見られて良かった。
パンフレットによると、豆葉か初桃か、どっちでも好きな方を選べと言われたそうですね。
いやー、しかし初桃じゃなくて良かったよ。初桃には無理があったと思う。ちょっと老け顔ですから。
コン・リーは小雪に似てませんか。

ケン・ワタナベとコウジ・ヤクショは、まあ、可もなく不可もなく……
役柄的にはそれほど見せ場がないからなー。役所広司なんて、もっと掘り下げて書いたら
味わい深い役柄だろうに、表面しか描かれてないし。渡辺謙も、かっこよくて良い人、ってだけ。
まあ、かき氷のシーンは可愛くて好きでしたけれどね。

桃井かおりは相変わらず怪演……とまではいかないけれど、やはり個性派ですね。
自分の役を存分にいじくっていた。工藤夕貴も、最後の裏切りに説得力を持たせたのは、彼女の演技力。
子役も可愛かった。表情がいいですね。

ただ、いくら素材としての日本とはいえ、うへーと思わされた部分はある。
芸者が相当花魁と混同されてないか?そりゃ、わたしは「水揚げ」にそういう意味があるとは
知らなかったけどさあ。ただ、それって、もっと密かに行われるもんじゃないの?
あんなに公な話になるもんなの?
あと、着物の着方のキタナサですね~。もうちっとちゃんと着てくれよ。
あっちゃいけないシワばっかりやん……。どこかで「夢二から影響を受けた」と読んで、納得とともに
がっかり……_| ̄|○。。。。そもそもあれは乱調ですから。髪型ももうちょっときりっと……
あと、舞台上で何だかを踊るところ。歌舞伎じゃねーんだからさ~~~。
あんなんで、「都一の芸者」を表現されたら泣きますわ。

しかし、今回思った。
外国人の皆さん、伝統的な日本を描く時には「本音と建前」を忘れちゃあかんよ。
建前というとマイナスイメージがつきまとうから言い方を変えるが、
日本を描くには「型」の存在を忘れちゃいかん。型と素の二重構造。
ラストサムライとSAYURIを見て、そう思った。どちらも「型」の存在が感じられないから、
違う、なんか違うと思いつつ見ることになる。

伝統日本は多様化し、拡大する文化ではない。集約することで純度を高める文化だ。
茶道にしても、能にしても、いかに不純物をそぎ落とすかということが根底にある。それが「型」。
もっとも、そぎ落とすためにどんな回り道でもするというのが、また不合理な部分だが……
せっかく映画の中で、役所広司に「日本では全てが儀式ですから」と言わせてるんだからさー。
それを映画そのものに生かして欲しかった。

まあ不可能は望むまい。
日本人が納得する日本を外国人に描けっていっても無理な話。
たとえば、日本で三国志の映画を撮ったとして、そこで描かれている魏蜀呉に、中国の人は
納得出来るだろうか。多分出来ないでしょう。作り手がどんなに綿密に考証を重ねて
史書を紐解いても、そう簡単に民族的記憶を、その体臭を共有できるようにはならない。
絶対にズレる。
いわんや、(活字の世界で)たまに見かける中国もんファンタジーにおいておや。
それもそうだと思うのならば、今回のSAYURIで「日本じゃない!」というだけの
批判は、的外れではあるでしょう。内容はまさにパラレルファンタジーですからね。

話を最初に戻して、ラストサムライを見て「日本人で良かった!」という人は、
パラレルファンタジーに日本を見ているのだと、気づいて欲しかったりもする……
あーあ、先は暗いな……

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