PR

<ヴェニスの商人>

【 喝采! 】

ブラーヴォ!よくやった!と言いたくなる出来。バランスが素晴らしい。

大時代な原作をよくぞここまで持って来た。
監督・脚本のマイケル・ラドフォードに個人的にスタンディング・オベーション。いやー、よく作った。
原作時の時代感覚と現代の時代感覚。映画と舞台。役者同士の芝居。台詞回し。
全てのバランスが取れている。あー、もう、奇跡に近い。

「ヴェニスの商人」をシェイクスピアの時代と同じような感覚でやるのは不可能だ。
当時は嘲笑や軽蔑の対象としてユダヤ人を置けたけれど、今は無理。共感を誘えない。
では単なるユダヤ人の受難譚として話を作るか?……しかし原作の意図はそこにはない。
何といっても白眉は「正義に従って一ポンドの肉をとれ。……しかし血は一滴も流さずに」
なのだから、あまりにもシャイロック視点になりすぎると、この台詞が全く生きない。
しかしこの映画は、

彼も人間、
我も人間。

を描き出すことで、その危うい中心点を探り出した。
ここしかない、というようなぎりぎりの一点だったと思う。

小技が上手い。アントーニオはバッサーニオに”愛情”を抱いていることが不可欠。
それを匂わせる演出が最適。シャイロックの性格の描き方、娘に出て行かれて混乱するにも、
言葉ではどうしても金のことを言わずにはいられないその性格。
ここで単に「父親の悲嘆」だけを描いてしまったら、シャイロックがいい人になりすぎる。
見ている者に感じさせる憐れみと軽蔑が絶妙につりあっている。脚本偉い。

しかしどんなに脚本が偉くても、演じ手がそれを生かせなければ話にならないのだ!
そこを役者陣がまた……上手くやってるよなー。ベテランも若手も、みな偉い!
偉い役者たちの中でも、何といってもアル・パチーノ。この人が手柄の半分を占める。
シャイロックの人間がしっかり立っていなければ、クルクルしたストーリーだけの話に終ってしまう。
それを立派に演じた。演技を初めて見たが、いやー、有名なのは伊達じゃなかったんですね。

しかしそのアル・パチーノをもってしても、手柄の半分しか占めないということは、
他の役者がどれほど良かったか、ということでもある。
正直に言って、アントーニオは役柄として少々弱い。が、そこをあまり感じさせなかったのは
ジェレミー・アイアンズの存在感。裁判の場面の情けなさは、それまでの超然とした態度を
いい意味でがらりと崩して成功している。

バッサーニオも、言ってしまえば軽薄な、厭な奴である。借金してプロポーズだあ?
寝言は寝てから言え!というべきところ。しかしジョセフ・ファインズの雰囲気がそこを救っている。
アホはアホなりに真剣で、つい大目に見てしまう。これは演技力の賜物か?それともあの眼のせいか?
そしてリン・コリンズ!いいですね!初作品がこれだったことに感謝したい。
一目見た途端、まさにボッティチェッリ型美女!と思った。シモネッタ・ヴェスプッチにそっくり!
さらに表情が素敵。見ててトリコになりました。

他の脇役も良かった。グラシアーノ、どこかで見たなーと気になっていたら
「ラブ・アクチュアリー」でしたね。アレがコスチューム物を出来るとは想像もしなかったが……
召使のランスロットは、ストーリー的な存在価値が全くない気がするけれど、
あれがアソビになっているんだろうなあ。親父さんとのシーンはいかにも舞台のくすぐりっぽい。
実はモロッコ大公も好きだった。あのシーンは映画でも舞台でもなく、テレビのコメディっぽい。
あんまりやると安っぽくなるけど、こういうアソビの分量も絶妙。

役者で唯一、今ひとつだったのがシャイロックの娘。話的に限界はあるだろうからしょうがないけど。
脱出の時の長台詞は、舞台のをそのまま喋っているだけで、映画の中に溶け込んでいなかった。
あ、あれは字幕の問題か?しかし「台詞のための台詞」という気がしたのは否めない。
最後のシーンもなー。相当な演技力があれば、ああいう暗示しているだけのシーンにも
説得力が出ると思うんだけど……。
話がそう作られていないから仕方ないけど、シャイロックが裁判を起こそうとする時、
娘が説得する方向に行くのが自然じゃないか、と感じてしまった。
手紙でも書いたことにした方が良くなかったですかね?

ただし映画全体で、ものすごく残念だったことが一つある。たった一シーン。
ポーシャとネリッサがヴェニスへ戻るバッサーニオとグラシアーノを見送る場面。
あそこに、ドゥカーレ宮が背景に出て来るのが。なんであそこに出すか。
ということはつまり、ポーシャとネリッサはヴェニスにいなければおかしいわけですよ。
でも二人はヴェニスまで夫について来て、それから修道院に行った(=男装して裁判に参加した)
わけではないはずでしょ?あくまでポーシャの領地からそう離れていないことになってるはずですよね?
テレビで世界各地の名所旧跡が連日映される昨今、超有名なドゥカーレ宮をそ知らぬ顔で出すのは
やめて欲しい。あの一シーンがあったせいで、人物の移動がわけわからなくなった。

あとちょっと疑問なのが、パンフレットで「一目惚れ」と書かれているバッサーニオとポーシャ、
映画の中ではすでに面識あるように描かれてないですか?その方が納得出来るし、いいんだけどな。

結局、シャイロック視点に近いところで見てしまうので、最後の改宗はかわいそうだったなあ……
信じるものを変えろなんていうのは、あまりにも酷いことだと思うのだが……
シャイロックの自殺で話が終るのではないかと思ってはらはらした。

あー、ぐたぐた長くなってしまった。それくらい褒めるところがたくさんあった作品ということで。
プロの仕事だ!と思った。これが大きなハコで上映されないの、残念ですね。秀作なのに……。
特に脚本は偉い。ジョージ・ルーカスに爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。

お薦め!

コメント

  1. あん より:

    こんばんは
    見応えありました。Tb失礼します。遊びに来てね。