言わずと知れた?「武士の家計簿」の学者。
いや、これも大変に面白かった。
戦国時代の大名について書いた小文は、古今に星の数ほどあれど、
古文書という新しい切り口を持っているのはやはり強いねえ。
実際にあるんだそうですよ、「殿様の通信簿」。
実際の古文書名は、……漢字変換が面倒なのでひらがなで書いておくが、
「どかいこうしゅうき」という。隠密が探りだした各大名の人物評定だそうだ。元禄期。
こういうのってあり?存在そのものからして無理があるような気がするわー。
いくら隠密とはいえ……公的機関(裏側だけど)なんだもん、そこで人物評定を
主観的に書き記すというのは、それこそあまりに官僚的な、日本人がやりそうなこととも思えないが?
例えていえば、“新解さん”の存在くらいに稀有な気がする。
でもまあ、新解さんがいるくらいだから、ありなのか。
水戸光圀や浅野内匠頭などのとっつきやすいところから始まって、マイナーどころまで。
なるほどねえ、見方を変えればそう見えるわけねー。
やっぱり家風とか教育とかも大事なんだなあー。
歴史は独立したものではなく、過去からの連続した流れだ。
というのはよく言われることで、「風雲児たち」のみなもと太郎も、その考えの元に
幕末を描くために関ヶ原から話を始めてしまったし、
たしかさかのぼり日本史なんていう本も――NHKで出しているようだが、
遠因があって後日そういう帰結を生むというのは、確かにあることだろうと思った。
たとえば浅野内匠頭。
家光時代になってから、赤穂藩だけが特別に築城を命じられ、その時代に15年かけて作られた
珍しい城なのだとか。それだけ聞けば「新しい城なのね」ってだけの話だが、
他の藩主がおっとりと能や茶道に精を出している時代に、
荒っぽい大工さんがトンテンカンカンと金づち?を振るう。ギコギコと鋸で切る。
築城なんて戦に対する備えの第一歩なのだから、築城に携わる人々(城下の町人も含めて)の
意識から、戦という存在が抜けることはなかったろう。
そこで、赤穂藩は武張った特異な藩になった。
そこまで説明してくれるので「なるほど……」といたく頷ける。
前回の「武士の家計簿」でもそうだが、へー、と言いたいことが多い。
文章も面白い。どんどん書いて欲しい。ただし質は落とさずに。
この人、何ヶ月か前にテレビに出てたのを見たけど、見た感じは若干狷介(^_^;)。
実は2008年発行「江戸の備忘録」は内容が軽くて不満だったので、もう少しがんばれと言いたい。
まー、そうそうネタになるような古文書ばかりではないだろうが……
コメント