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◇ パール・バック「大地」

アメリカ文学最短コース遍歴中。

まずパール・バックが女性だったことに驚いた。
いや、よく考えればパールは女性名なんだけど、あまりそこまで考えたことがなかった。

次に舞台が中国だったということに驚いた。
普通、アメリカだと思いますやん。「怒りの葡萄」的な
(……これをしばらく前に読んだのをすっかり忘れ去っていたが(^_^;))
アメリカ開拓時代の農民の暮らしを書くものだと思っていた。
それが、ははあ、中国ですか。

アメリカ人に中国の何が描けるのか、と大変疑いながら読み始めたけど、
かなり納得させられながら読んでいた。まあ日本人に中国の何がわかるのか、という部分もあるが。
作者の経歴を見て、なるほどと思う。
生後3ヶ月から大学入学の1911年(日本語のWikiが間違ってるぞ)までの19年間を
中国で育ったのであれば、両親ともアメリカ人ではあっても、身に沁み込んだ
中国文化の根はしっかりと張っているだろう。

「大地」は、第一部「大地」第二部「息子たち」第三部「分裂した家」で構成される。
トータルのタイトルと第一部のタイトルが同じなのが紛らわしい。

第一部の主人公は王龍。全くの零細農民として登場し、餓死寸前のところから、
流浪先の街でたまたま起こった略奪の際に、どさくさにまぎれて金や宝石などを
手に入れたところから運が向いてくる。
その金を元手に土地を買い、豪農に、やがては土地をたくさん持った地主になっていく。
土地に執着した王龍、彼の人生の変遷。

第二部はその息子たち。
地主としての地位を受け継いだ意志の弱い長男と、
商才に長け、財産に執着する商人の次男、
家を飛び出し、軍人になって地方軍閥の長となる三男。
三男である王虎を中心に据えた、それぞれの人生。

第三部は王虎の息子、王元が主人公。
頭が良く、誠実だが、殺伐たる軍人の息子としては彼は繊細だった。
父を恐れ、父に期待された生き方が出来ずに父から逃げ出してしまう。
厳しい軍隊の生活と、華やかな近代都市の享楽的生活の対比。
そして時は革命期。叛乱分子だと疑われた王元はアメリカに留学する。
アメリカ生活の中での葛藤。
近代化へ向けた時代の中国、その過渡期を生きる青年の姿。

第一部が(タイトルになっているだけあって)一番、話としてまとまっており、完成度が高い。
まあ第一部だけでも良かったんですよね、正直なところ。

王龍の土地に対する思いには納得する。
これはパール・バックが農民生活を体験したことが
ないであろうことを考えれば、よく書いたなと思えるところだ。
wikiによれば、夫が農業経済学者だったそうなので、若干の関係はあるか?
でも基本、学者は現実とは乖離した場所にいるだろうからね。

王龍の妻である阿藍の人物造型が印象的だった。いや、造型というよりは、
出産するまで農作業に勤しみ、たった一人で子供を生み、その翌日(?)から畑に出るという
その強靭さに惧れをなした。
これはあくまで物語ですけど、実際にそういう状況で生んだ人もたくさんいたってことだよね?
一人で出産って出来るものかいな。想像すると大変にコワイ。

そんな阿藍が唯一執着する対象としての真珠がこれまた印象的。
ただ、せっかくそこまで上手く印象付けたのなら、もうひと押し何かエピソードがあっても
いい気がした。
それは梨華にも同じことを感じ、……ここまで人物を作ったのなら、なんかもう少し
起承転結があってもいい気がする。盛り上げて、何かドカンと来るか?
(具体的には王虎との恋愛とか)とも思えたのに、
いつの間にか風の噂で、年をとったので尼寺に入り、その後亡くなりました……では
少々アイソというものがないでしょう。

でも大河小説だからね。全ての登場人物をきっちり片付けるのも難しいとは思うが。

第二部が気に入らない。
「息子たち」は……不要とまでは言わないけど、完全に繋ぎなので、もっともっと切りつめても
良かったと思うなあ。それなのに分量的には一番長くて、多分全編の半分近くを占めている。

パール・バックには「私には(娘の病気のために)金銭が必要だった」という発言があり、
それは直接第二部についての言及ではないはずだけど、
第一部を発表して、その好評にのって、という状況は有り得るかな。
ちょっとだらだら書きすぎ。

何よりも、王虎が軍閥の長に上り詰める過程の書き方が……適当すぎてなあ。
ほんと簡単に書いているから。経済的にも、政略的にも、もっともっと複雑なもんではないだろうか、
軍隊運営というものは。この部分は「昔々あるところに……」というお伽話並みの緩さ。
でもまあそういうの多いですけどね、小説には。
ただ、軍隊についてこれくらいしか書けないのなら、王虎を軍閥の長と設定するのは
無理があると思った。

第二部があったから第三部があるということはある。
ここはここで、第一部とは別種の面白さ。テーマが全く違う話になっているので、
実は完全に別の物語として書くことも可能だったんだよね。
第一部から繋がるから話が重層的になり、味わいを増す、のではあるけれど。

ここは実際にパール・バック本人の話なんだろうと思うよ。
もちろん彼女はアメリカ人だが。しかしほぼ生まれた時から青春期を中国で過ごしているんだから、
アイデンティティには濃厚に中国的なものを湛えているはず。
だが中国人そのものにはなり切れず、かといって大学生になってから暮したアメリカ生活も
100%は身に添わず……どちらに対しても傍観者の立場なのではないだろうか。

引用する。
王元がアメリカの大地について思いを馳せるところ。

   それでも、その時分から、すでに元は、この国の大地が自国のそれのようではなく、
   何か異様で、野性を帯びていることを感じた。(中略)
   この国の白人たちを養っている大地も、元の民族を養っている大地と同じ大地であるが、
   それを相手にしてはたらいたりしてみると、彼の父祖が骨を埋めているあの大地ではないことを
   元は知った。この土地はまだ新しく、人間の骨が十分に埋まっていなかった。
   それゆえに、まだ馴化されていないのだ。元の故国の土が、そこに生きる人間の骨肉を
   浸みとおらせているのにたいして、この国の新しい民族は、まだ土にまで浸みこむほど
   人間が死んでいないからである。この大地は、いまはまだ、それをわがものとしようとして
   努力している人間よりも強いのだ。そして、その野性に感化されて、人間もまた
   野性的であり、富と学識とがありながら、しばしばその精神や外貌に野蛮なものが  
   あらわれるのだ。

自分と同じ考えとは言いかねるけれども……
そうか、この人はこことあそこの違いをそういう風に捉えたのか。
人間の骨が土地を馴化すると。逆に言えば、土地は馴化され得るものなんだ。
土地は馴化され得ると考えることが、「この国の新しい民族」の人である証左であるかもしれない。

わたしはアメリカ文学を、「なんでアメリカ人って……」という興味もあって
(無理して)読んでいるので、こういうダイレクトなわかりやすい示唆は大変有難い。
興味深い。

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パール・バック 中野 好夫
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わたしが読んだのは大昔からうちにあった、昭和52年発行の河出世界文学全集版。
訳者は大久保康雄。訳はシンプルで読みやすかった。
それと比べて新潮も岩波も、どっちも大して読みやすくはないのではないかと危惧しつつ、
中野好夫さんを信頼することにして新潮版を挙げておく。

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