ミュージカルにはストーリーメインのものと、音楽メインのものがある。
ミュージカルとは、と考えれば音楽主体であるべきかなとも思うが、
わたしとしてはどちらかというとストーリーメインのものの方が好き。
ストーリーがしっかりしていて、そこに名曲がついているものが最強。
「サウンド・オブ・ミュージック」とか。「ジーザス・クライスト・スーパースター」とか。
……と書いてからwikiを見たら、ちゃんとジャンルに名前がついているんですね。
ストーリーメインのもの=ブックミュージカル
代表作→「マイ・フェア・レディ」「屋根の上のヴァイオリン弾き」「サウンド・オブ・ミュージック」
音楽主体のもの=ブックレスミュージカル
代表作→「CATS」「コーラスライン」
そして台詞部分も音楽で、ということになるとポップオペラというジャンルになり、
代表作→「ジーザス・クライスト・スーパースター」「オペラ座の怪人」
となるそうだ。
「メンフィス」は最初、典型的なブックレス・ミュージカルだと思ったが。
後半に行くに従って話が濃くなっていく。それでもやはりあくまで音楽がメインだろうね。
わたしはR&BのRって何だっけ、というほど音楽には疎いので
こういう“音楽の素晴らしさ”というテーマを前面に出されると、若干距離を感じるのだが、
でもわりと集中して見られました。……主役のダルダルさにも関わらず。
メンフィス。まだ人種差別真っただ中で、
白人の水飲み場で黒人が水を飲むと私刑に遭うような時代。
黒人街の地下酒場ではパンチのあるR&Bが歌われているのに、
ラジオ番組の主流は、お上品で健康的な○○(詳しくないので音楽のジャンルがわからない……
ま、古き良きアメリカっぽい音楽を想像して下さい)を流している時代。
地下酒場に場違いな白人が紛れ込む。
聞こえてきた音楽に惹かれて、危険を承知で入って来たと。
一触即発の状態だったが、音楽という共通言語を持つ者同士、次第に打ち解けていく。
白人の男はヒューイ。まるで酔っ払いのようなグダグダしたダメ男で、
酒場で歌っていた黒人歌手のフェリシアとその音楽に惚れる。
彼はひょんなことからラジオDJになり、フェリシアの歌――まだ市民権を得ていなかった
黒人音楽を世に出していく。
ヒューイとフェリシアは愛し合っているが、ヒューイが人気DJになるに従い、
黒人と付き合っていることへの風当たりは強くなる。襲撃され、大怪我をするフェリシア。
ヒューイはラジオからメンフィスのテレビ番組の司会となり、アメリカン・サクセスを手に入れる。
その一方、フェリシアに大手レコード会社からのオファーが。
ニューヨークへ来れば売りだしてやると言われる。
「テネシー州法では黒人と白人は結婚出来ないけれど、北部へ行けば」とフェリシアは言う。
一緒にニューヨークへ。ヒューイにもオファー……というほどじゃないが、
ニューヨークで使ってみてやろうというプロデューサーも現れた。
一度はニューヨーク行きを承知するヒューイ。
――しかし彼は“我が街”から離れることは出来なかった。
フェリシアはニューヨークへ。ヒューイはメンフィスへ残る。
数年後、昔の人気は衰え、今は小さなラジオ局のDJを細々とやっているヒューイの元へ
フェリシアが訪ねて来る。人気歌手になった彼女は、コンサートのためにメンフィスを訪れたのだ。
今夜のコンサートへ来て欲しい、というフェリシア。ヒューイは謝絶する。
去るフェリシア。そして幕。
――という話になるはずなんだけど、結局最後は舞台そのものをコンサートの舞台に見立てて、
ヒューイも現れて歌い踊る。
いやー、それは無理。いくらデビューのきっかけを作ってくれた恩人だからといって、
舞台に上げるか、普通。……と言いたいところだが、まあミュージカルのラストシーンとしては、
そうしないと収束しない。ので、仕方がない。
ヒューイがメンフィスから出て行けなかったのは、メンフィスへの愛というよりは
臆病さのように見えてしまった。落ちぶれたわけだから、そういうことでいいんだろう。
アメリカはアメリカン・ドリームの国だから、ほいほいニューヨークへ行って
ハッピーエンドかなと思ったのだが。
2人の別離からエンディングまでが短いので、ちょっとお手軽感が漂う。
ストーリー上のクリシェ。ならハッピーエンドの方が良かったかもね。
そうすれば最後の舞台が「ドリームズ・カム・トゥルーだぜ!YEAH!」みたいな
大変能天気なノリで派手にスカッと終わらせられたのに。
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1950年代が舞台なんだって。
とても戦後の話とは思えない。その頃まで「黒人と白人は結婚出来ない」という州法があったのか。
まあアメリカは時々、禁酒法のように、ヒステリックとしか言いようがない
極端なことをするけどねえ。
人種差別とは現代のアメリカにおいても、やはり厳然としてある問題なのかなあ。
現状を知らないわたしは、このミュージカルの冒頭シーンを見て、
「この期に及んでむし返さなくても……。それともこういうミュージカルを
作ることが出来るほど、人種問題は安定したのか?」と思った。
こういうことは、ついつい歴史上の、すでに過ぎ去ったことだと思ってしまう――
思いたいと思ってしまう。
素直なエンターテインメントとして見られるのならば、それにこしたことはないんだけどね。
制作者の意識は、観客の意識はどうなんだろう。
そういう余計なことが考えなければならないので、基本的に人種問題とか戦争がテーマの
ミュージカルはキライ。「ミス・サイゴン」も見ていない。
なんも難しいことを考えたくないからミュージカルが好きなんだっちゅうねん。
いや、この作品は楽しめましたけどね。
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