それほど言いたいことはないが……。
とりあえず平出隆の現行の著作はツブしたぞ、と。
で、今後もおそらく追って行くぞ、と。
そういう意味で書いておく。
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ベリルン。には行ったことがない。
ドイツ語圏には今まで近寄ったことがなく、今後もしばらくは行かないのではないかと思われる。
惹かれるものは色々あるはずなんだけれどもね。
ミュンヘンのアルテ・ピナコテークには名画がぞろぞろだし、ベルリンの博物館島、
とりわけペルガモン博物館は見たい。
ケルン大聖堂もあればヴュルツブルグの司教館、ロマンチック街道のローテンブルグや
ノイシュバンシュタイン城その他のルートヴィヒ2世関連建築、フリードリヒ2世のサンスーシ宮、
……なんだ、並べてみると思ったよりはるかに、食指が動くものが色々あるな。
それなのになぜ行ってないのか。
これは、土地が呼ばないとしか言いようがない。
行くと何か悪いことが起こるような気さえする。
多分、行けば行ったで普通に楽しいに違いないのだが、――どこか暗い穴が開いているような。
それはナチス・ドイツのイメージなのか、シュバルツバルト、黒い森のイメージなのか、
はるかな過去のゲルマン民族のイメージなのか。
どこか怖さがある。
――というのは、自分だけのイメージだと思っていたのだが、
平出隆にもどこか違和感がないこともないらしい。
彼の場合はベルリンに特に、親和感とともに違和感を持っているようなんだけどね。
ベルリンに感じる気質。どこに書いてあったか全く記憶にないので、
あえて探して引用することはしないけれど、秩序と無秩序の関係性とか、
簡単に言っちゃえば建物のスケール感の違いとか……
……ああ、なんかわたしが言うと月並みなものにしかならないけど、
やはり彼は詩人ですから、彼の文章で読むと、もっと感じるものがある。
読みながら、どこかへ連れていかれている感覚はあった。
あとがきによれば「本書は基本的に紀行エッセイの類いに分類されるものですが、
著者としては、散文作品としての試みをかさねたつもりでもあります」
これは、そのために引用文に若干細工を施している部分があるからそのつもりでね、という
注意書きの一部なのだが、たしかに散文作品――というよりむしろ散文詩作品――の
ロマンティシズムを感じた。ロマンティシズム?うーん。もっと単純に“匂い”でいいか。
散文詩の匂いがした。ほんのかすかな酩酊。
実際のベルリンとは4分の1ずれたところにある、詩人の目の奥にしかないベルリン。
おそらく、その傾向をもっと徹底させると「アレキサンドリアカルテット」における
アレキサンドリアになるんだろうな。
それでも、平出隆は一応ベースは現実に置いているはずだから、
この位の方がわたしは読んでいて楽しいです。それこそ「基本的に紀行エッセイ」程度の方が。
この人は詩人なんだそうだけど、わたしはこの人の散文が好きだなー。
詩人に向かって散文が好き、というのもどんなもんなんだろう。
詩と散文、分けるべきものではないような、しかし厳然として違うものでもあるような。
それは書き手の意識ということになるのかな。
詩は詩、散文は散文という意識で書く人もいれば、
詩という表現形式を取るにせよ散文という表現形式を取るにせよ、根幹は同じだと考えるか。
彼はどっちなんだろうね。
いずれまた。会いましょう。次の本で。
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