10年以上前に原著を眺めた。以来、一度ちゃんと読まなあかんなー、と思っていたのだが、
今回ようやく。まあその前に映画も見てるしね。
キーラ・ナイトレイとマシュー・マクファディン(といってもサッパリ知名度はないだろうし、
わたしも他の作品での記憶は全くないが)その他のキャストでイメージが浮かんで来るので、
読みながらの味付けが容易だった。
本を読んでみて思うが、あの映画はけっこう出来が良かったんだなあ。
恋愛ものとしては、原作よりも優れているかもしれないよ。
まあ小説と映像作品を同列に語れもしないんだけど、小説だとダーシーさんの気持ちが
かなり初期で説明されてしまうので、そこが興趣を殺ぐ。展開もわりと淡々。
本は、翻訳で損をした部分はあったかも。
総じて岩波の翻訳は良くないだろ……。古いよね、多分。(おそらくこれは1950年訳が基本)
岩波文庫は岩波文庫で、古今東西の名著を早い段階で文庫化してくれたという功績は大だけどさ。
それがまさに裏返しの弊害となっているわけで、過去の翻訳はどうしても古びるでしょ。
かといって重版をかけるたびに訳を替えるわけにもいかないが。
岩波もおそらく台所事情は大して良くないだろうし……
岩波のラインナップは大変立派ではあるが、他で見つからない場合の最後の砦にした方が
いいかもしれない。まあ、少なくとも外国文学については。
やっぱり訳って大事だろうからね。
「ユリシーズ」だって、今、読んでいる「失われた時を求めて」だって、
訳が駄目だったら絶対最後まで読めてないもの。
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なんといってもエリザベスが魅力的。自由闊達。
(でも実際に喋っていたら、相当に嫌味な女かも……)
この時代、これだけのキャラクターを書けたのはオースティンのテガラだろうなー。
……と言って、わたしが比較出来る対象もないんだけどさ。
唯一、かろうじて比較対象になり得る(か?)「ジェイン・エア」でさえ、出版は30年後だし。
しかしエリザベスは、ダーシーさんと幸せになれますかねえ。
お互い同士はいいとして。やはり身分違いの結婚は難しいのではなかろうか……
人間は習慣の生き物なので、やはり周囲の環境がね……。
ダーシーさん、わたしは同じ階級から妻を選んでおいた方が良かったと思いますよ。
何しろ、とにかくお母さんがツライ。
だいたい家族というものは、外に出すとハズカシイものではあるのだが(わたしだけか?)、
ああいうお母さんだったら身のオキドコロがない気がする。
敬して遠ざけるということも出来にくい性格のようだし。
それに、ああいう妹もイヤでしょー。
お父さん。映画では魅力的だったし、作品中でも映画の印象に引きずられてけっこう魅力的だが、
もうちっと奥さん教育をしておいた方が良かったのでは……。
それを言うたら、そもそもそういう人を選んだお父さんの見る目がやはり……
いやいや、そこから始めては、ほとんどの小説が成立しなくなりますが。
ダーシーさんをもう少し書きこんで欲しかったかな。
彼の行動によってエリザベスが惹かれていくのは、わかると言えばわかるんだけど、
それと人間的な魅力という部分は完全にイコールではないから。
もうちっと彼の可愛げを。
解説によれば、ジェーン・オースティン21歳の作品とありますが、ほんとですかねえ。
21歳の世間知ではないような気がするが。
最初に小説としてまとめたのはその歳でも、出版されたのは38歳の時なんだから、
その時点で相当に手が入っていると見た方が妥当なのではないか。
なので、21歳で書いたという言い方は疑問。
風俗小説として読んで面白かった。
もっとも、正直言うと、ここまで本作が英文学的に奉られているのは若干解せないが。
(漱石の「猫」「坊っちゃん」のようなもんか?)
恋愛ものとしても大筋では面白かった。も少し書きこんで欲しかった気はするけど。
やっぱりハッピーエンドですよね、物語は。
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