この作品を読みながら、ものすごく思い出していた書き手がいた。
三崎亜記。「となり町戦争」の人。という方が一般的には通りがいいだろうが、
わたしにとっては「失われた町」の方が印象が強い。
彼と彼女は、言わば書き手としての兄妹(姉弟)。
――――――――と書いて、どちらが年上か調べるためにwikiを見て一驚した。
三崎亜記、男か!!
亜記だったら女だろう!……あー、びっくりした。わたしの中では女性らしからぬ硬さも
彼女の、……彼の特徴の一つだったんだけどね。
書き手としての兄弟。
どちらも異世界好き。現実からわずかに離れた、しかし遠い場所を書きたがる。
書き手の方向には、キャラクター造型に行く人もストーリーの波乱万丈さに行く人も、
他にも色々あるが、“ここではないどこか”を書きたがる系統も確実にいて、
彼ら2人は明確にその系統。しかもその“どこか”の雰囲気は、青白くて寂しげで似通っている。
なので、今回どうしても比較しながら読むことになった。
結論から言ってしまえば、――わたしとしては、恒川光太郎の完勝。
恒川光太郎の場合、“その場所”を書きたいことはひしひしと伝わる。
そして彼はたっぷりとその異世界の描写に力を注ぐ。
設定もたしかに多めだ――だが、その設定はちゃんと物語の中で生きている。
ぎりぎりの多さかもしれないが。あとわずかに設定を増やしたら、煩くなってしまうくらい。
三崎亜記の場合は、これはもう設定に淫している類だからなあ。
特に「失われた町」で、わたしはほとほと呆れた。誰か何とかしなかったのか。
それはたしかに、読み手の方にも設定フェチはいるわけだから、営業的には実際は
問題ないのかもしれないが、――もう少し刈り込んだら絶対もっといいものになるのに。
恒川は、その設定に詩情を美しくまとわせる。きれいだ、と素直に味わえる。
その静かさと青白さは月光の美しさで、前作の「夜市」とほとんど同一のもの。
わたしは、本当はもう少し色々なものを書ける人の方がいいと思うけど、
みんながみんなオールマイティーになれるわけではないだろう。またその必要もない。
この話の最後はするっと上手くまとめた。あっという間に収束してしまって、
少し物足りないくらい。もうちょっとラストに重みを持たせても良かった。
でも総じての印象は上手い。
――ということで、小説としては恒川光太郎、かなり評価するのだが。
こういう寂しい、苦しい話を、わたしが読むのか?と自問すると。
小説としての上手さは上手さとして、辛い気分を味わいながら読まなくてもいいんじゃないかと。
上手いからね。寡作な人だし、あと数冊読んでもいいかなーと逡巡しつつ。
本作はけっこう前の作品なんだ。2006年刊。近作がどう変わったかと多少気になりはするが。
……多分変わってないんじゃないかなという予想も出来るし。
今後もがんばって下さい、と小さな声で呟いて席を立つ。
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