アメリカ文学最短コース遍歴中。
「シスター・キャリー」には、アメリカ文学的ジャリジャリ感は感じなかった。なので可。
しかし別な意味では大変読むのがツラかったので、下巻はけっこうザク読みでした。
なんといってもハーストウッドの凋落ぶりが痛くて……。
わたしは主人公が惨めな・恥ずかしい話はハラハラしてしまって読めない。読むのがツラい。
この話で一番共感しやすいのはハーストウッドだった。
だが表紙のあらすじで、彼の転落人生はすでに約束されているからなあ。
(何も表紙に自殺することまで書いておかなくてもいい気がするが)
ハーストウッドを「ココ・アヴァン・シャネル」のボーイ・カペルを演じた
アレッサンドロ・ニヴォラのイメージで読んでいたから、なんだかえらく哀れで……。
ハーストウッドの凋落にしても、キャリーの成功にしても、ストーリー的には
安易と言えば安易だが。都市小説の嚆矢といわれれば、まあそうなんだろうな。
やっぱりめでたしめでたしの方が好きです。わたしは。
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この作品をじっくり考えればわたしにとってのアメリカ文学が見えてくるかなー、と思った。
だが見えて来るのは、実はあまり大したことではないのかもしれない。
(考えがまとまっていないので、支離滅裂なブレインストーム風に。
こんなのは他人様の目に触れるようなところに置いとくものでもないけど、
この辺に置いとかないと自分の目にも触れない。)
「シスター・キャリー」にはほっと出来る部分もあった。
美しいもの、成功の香り、女性美――こういうのを読んでいる分には安心。
それはただ単に、ただ単なる興味の分野の問題か。「源氏物語」でもどこが一番魅力かというと、
ただひたすら雅な部分。六条院の優雅さ。
初期アメリカ文学には優雅さは薬にしたくもない。――と思われる。
アメリカ文学のジャリジャリ感は、煎じつめていえば単にそれだけなのか?
優雅さ。わたしの嗜好は、最も浅い意味での優雅さが欲しいだけなのか。
キャリーにせよ、ハーストウッドにしろ、ドルーエにしろ、
性格的には散々くさされているけど、しかし欠点ばかりでもない。
美点は美点として書いている。欠点部分を読むより美点部分を読む方が楽しい。
翻って考えてみれば、「八月の光」にしろ「怒りの葡萄」にしろ、
美点というほどの美点を書いてはいなかったね。美点はあったにせよ、その書き方は
美しくはなかった。美しくないのが嫌だったのか?
美しいものが好きだ。美しさの色々な側面。
美しさは甘い。わたしは甘みがあるものじゃないと読めない。
甘みを感じるのは、それが好きだから。好きじゃないものは無味乾燥。
好きじゃないものは味気ない。ジャリジャリする。単にそれだけなのだろうか。
「怒りの葡萄」では、甘みはカリフォルニアの美しい風景と、かろうじて自治キャンプだけ。
「シスター・キャリー」ではキャリーの成功と、ハーストウッドとドルーエの浅薄だけれども
人当たりのいいその性格。小金持ちの生活も少し潤いを感じる。
美しさ。優雅さ。そういうコーティングをしないと美味しく食べられない?
単にそういうこと?
鴎外の「渋江抽斎」も退屈な本だった。それはやはり美しさがないから?
じゃあ何が好きなんだ。たとえばシャーロット・マクラウド。彼女のミステリは
そのキャラクターが潤いだ。北村薫しかり……。
塩野七生は?そのスタイルは、気取っていると言われても仕方ないほどにスタイリッシュだ。
書いているのはわたしの好物の歴史。これは旨い。
白洲正子。スタイリッシュと言えばこれほどスタイリッシュな人もいなかろう。
書いているのは美について。これも旨くて当然。
違うな。方向を誤っている。うーむ……。
感想がまとまらないところに鍵が隠れている気がするのだが……
やっぱりわからない。
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