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◇ フォースター「眺めのいい部屋」

恋愛小説はほとんど読まない。(と思う。)
今まで読んだ恋愛小説で一番好きな作品といえば「ジェイン・エア」。(だと思う。)
なので、本作も雰囲気的には自分向きの小説だと思って読み始めたのだが……

まあまあ面白かった。だが、やっぱり50年違うと小説の書き方が相当変わるんですかね。
道具立てはそれほど違うようには思えない。「ジェイン・エア」が1847年出版
(ついでに「高慢と偏見」が1813年出版)ということを考えれば、
風俗的には相当に違いを感じていいはずなのだが、あまり時代差を感じなかった。
女性が美しく、上品で、か弱くあれかしと思われていた時代。
だが「ジェイン・エア」は(若干ゴシックにせよ)素直にストーリーを辿っていくのに対して、
「眺めのいい部屋」は寄り道が多くてねえ。少し読みにくかった。

寄り道とは――あんまり一言では言えないが、説明が多い。
その説明も、なんか脇道にあえて立ち止まって……という感が否めない。
えーと、さらさら流れる小川の本流から外れ、淀みで引っかかりつつ微妙に進む笹舟の感覚。
その引っかかり具合が見ていてもどかしい。

淀み部分には登場人物の内面の心理状態がせっせと描かれる。逡巡、焦り、苛立ち、計算、etc.
こういう恋愛の反対要因だけではなく、せめてもっとストレートな恋愛感情(←本流)も
含まれていれば、わたしのもどかしさも減っただろうが、
淀みばっかりなので、「少しは流れんかい!」とハッパをかけたくなった。

……っていうか、こんな遠回りせずとも、もっと簡単な感想があった。
恋愛小説なら、もっとそれっぽく書いて欲しい。
恋愛部分、ほとんど書けてませんよね?

でも作者が書きたかったのは、むしろ“淀み”部分なんだろうな。
階級闘争?――でも、登場人物内でも階級というか、グループ分けが多岐にわたっているから
どこがどこを敵視していて、誰と誰が仲間なのか、かっちりわからん……。
恋愛部分は上辺の皮一枚だけ。……でもさー、皮一枚にしても恋愛を使っているなら、
もう少し本流部分が必要なんじゃないかね。

これは時代を理由にするよりは、書き手の個性ということが大きいのかな。
片や田舎の宗教的な雰囲気の中で静かに育ったシャーロット・ブロンテ、
片やロンドンで生まれ、ケンブリッジ大学で学び、他の文学者とも交流が頻繁だったフォースター。
こういう経歴のフォースターが実直なラブストーリーを書くとも思えないしね。
奇しくも出版は、どちらの著者も30歳前後だったようだが。
やっぱり書き手の方向性かな。

眺めのいい部屋 (ちくま文庫)
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映画は見ていない。
わたしにとっては特殊メイク女優であるヘレナ・ボナム=カーターが
正統派コスチュームプレイをやっているらしいので、いつか見てみたいと思う。
むしろこの道具立てなら、素直に恋愛映画にしてくれた方が好きになれるだろうな。

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