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◇ フォークナー「八月の光」

ツラかった……。

そもそもわたしが何故こんな似合わないもんを読んでいるかというと、
数年前、何だかの本を読んでいて、
「なんでアメリカ文学はこういう、ドライでビターなもんばっかりなんだろう?」
という疑問を抱いたことに始まる。
いや、“もんばっかり”と言えるほど読んでいるわけでは全然ないんだけどさあ。

はるか昔に読んだ何冊か――「華麗なるギャツビー」「ライ麦畑でつかまえて」「白鯨」
「老人と海」あたりは全く面白くなかった記憶がある。
ここ数年で読んだ何冊か――「緋文字」「ハックルベリィ・フィンの冒険」
カート・ヴォネカット・ジュニア諸作、ミルハウザー諸作は、読んでいる最中、強い違和感。
中にはそうでもないのもあったけど、ザラザラした肌触り。
口の中がジャリジャリしてくるような感触が共通していた。

この口内ジャリジャリ感は一体何なのか。
アメリカ文学に共通する要素なのかどうなのか――を確認しようと思い、
他人様のお手を煩わせ、アメリカ文学のめぼしいものを40冊くらいリストアップし、
こないだから読み始めたところ。その第1作目が「アンクル・トムの小屋」であり、2作目が本作。

まあ「風と共に去りぬ」とかね。エドガー・アラン・ポーとかね。
ブローディガンとか、それを感じない作品もそれなりにあるんだけどね。
が、言うたら「風と共に去りぬ」はロマンス小説、ポーは文学にしても傾向はミステリ・伝奇、
ブローディガンはSFっちゅうかファンタジー……とにかく彼らはジャンル小説でしょ。
ジャンル小説はあんまりジャリジャリしない。エラリー・クリーンやブラッドベリ、
アシモフなんかは普通に読めるし、シャーロット・マクラウドは大好きだ。
が、「文学」となると……

本作もそれはそれはキビしくてねえ……。もうヤダ、と思いながら何とか読み終わった。
砂漠に放り出されたようなツラさを感じるんだよ。
「湿度が足りない……」――読みながら干物になりかけてしまうような気分。

単純に、テーマがハードということはある。
わたしはテーマがツラい話は嫌いだ。ツライのは現実だけで沢山だと思っているので、
わざわざフィクションとしてツラい話を読む気にはなれん。
なので元々こういう話を読むには無理があるんですね。 

それに加えて――アメリカ文学の諸作品って、
登場人物の周辺の関係性が痛々しいくらいに硬い気がする。
それは人物同士の関係性にも言えるし、その生活空間と人間の関係性にも似たようなものを感じる。
「受け止めてくれる」という感傷――安心感がどこにも見当たらないのではないか。

根なし草の不安。ジャリジャリ感は、そういうことなんじゃないのかな。
先入観で言っている部分があるが、何といっても、アメリカはピルグリム・ファーザーズによって
建国されたわけでしょ。つまり宗教的な理想を求めて全く見知らぬ土地へ渡って来た人々。
本来であれば――地球が狭かった頃は、人間はその土地に生まれて死んだ。
日本に県民性という言葉があるように、土地はその住民の気質に影響を与える。

だが自らを移植した人々である彼らは、その土地に受け入れてもらうのではなく
その土地を我がものとし、理想を展開するための土地にしようとした。
まっさらな土地だと思おうとした。だから、本来の土地の声に耳を傾けることはなかった。
以前には何もない、自らが新しく作る土地――そう思えばそこには土地の精霊は存在出来ない。
精霊の助けがない彼らは「母なる土地」の感覚をなかなか持てなかったのではないか。

母なる土地から切り離された人間は弱いものなんだと思うよ。
だからいつも背中がうすら寒い。そのうすら寒さを何とかしようとした結果、
彼らは必要以上に自らを強くしようとした。
――その結果が銃社会であり、世界の警察という自任に繋がっているのではないかと。
あまりに短絡的ですかね。

さてそうなると、もう一つのメジャーな移植国家であるオーストラリア辺りの文学は
どうなっているのかということも気になりますね。
……気にはなるが、オーストラリアは歴史はアメリカよりも更に短いし、人口も少ないので、

……オーストラリア文学って、どんなん?

という域を全く出られない。タイトル一つでも挙げられますか、オーストラリア文学の。
わたしの能力では自分なりの比較検討でさえ出来そうもない……。

まあ我が「アメリカ文学」、まだ端緒についたばかり。
今後読んでいくうちに、何かもっと言えるようになるといいね。

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しかし、無知なる者のコワイモノシラズで言ってしまうけどさあ。
宗教的情熱と人種差別から始まったアメリカ文学は、
でろでろの私小説から始まった日本近代文学と同じくらいに不幸だなあ。
こないだ読んだんですけど、ナンデスカ、あの近松秋江なんという人のストーカー小説は!!
あんたと別れた妻がどーしたこーしたなんて話は、こっちゃ興味ないちゅうねん!
こっちはこっちで口のなかベタベタ。

そう考えると、シェイクスピアの史劇と喜劇から始まったイギリス文学はけっこう幸せ?

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