これは、前文が反則である。
こんな風に書かれてしまうと、我ら架空の王国の住人はそれだけでノセられてしまって、
作品自体への見る目が曇る。まあでもフィクションなんて騙されてなんぼの世界だから、
別にいいのか、曇らされても。曇った目でも愛せればその方が幸せだからね。
作品自体はねー。
もうちょっとがんばれば通俗小説から抜け出るのになー……という惜しさ。
通俗っていうと響きが悪いか。普通の読みものとしてはなかなか良いものだと思うんだけど、
それだけ、っていうかねえ。うーん。読んでかなり好意は持てるのだが。
実はこれは池上冬樹という書評家の「最愛の作品」のなかの1冊。
わかる気はする。わたしはところどころ出てくる魔法の言葉に反応するが、
池上冬樹だったら、そこへの反応もおそらくあるだろうし、、
何より“昔少年”の方が“昔少女”よりはこの作品に共感しやすいだろう。
でも、惜しい気はするんだよなー。
架空の王国の魔法の話を書くのか、
サスペンスにするのか、
全く現実に沿った形で自叙伝を丹念に書くのか。
どれかに絞った方は、少なくとも行儀がいいよね。
絞った場合にどれくらいの完成度で書けるかは別として。
絞らなかったからこそ魅力的になった部分はあるだろう。
しかしなー、なんかなー。そうなるとスーパーマーケット的な安っぽさも漂わないか。
スーパーマーケットには良さもある。けど。
サスペンス風味の通俗版「たんぽぽのお酒」って感じ。と思いながら読んでいたら、
物語も後半になって、作者がブラッドベリを愛している記述が出て来た。
あ、どんぴしゃ。
なるほど。流れを受け継いでいるわけだ。「たんぽぽのお酒」は詩情を追求して
立派な作品になったのだと思うのだけれど(←あまりに感動したので原書を買った)、
似て非なるものとして、色々詰め込んだこの作品はスーパーマーケット的。惜しい。
しかしアメリカの作家はみんな、こんなんかね?
こんなんかね、というのはどんなんだ?と訊かれても説明出来ないのだが。
……というのは、クーンツを思い出していたから。
表紙のせいだろうか。何しろこの本の表紙は藤田新策なる人で、これがクーンツの本と全く同じ。
本作の上巻表紙にはゴールデンレトリバーの後ろ姿が書かれているけど、
クーンツの本にもあったでしょう、ゴールデンレトリバーが書かれたヤツ。
ただでさえ内容の雰囲気が似てるんだから、表紙まで似せなくてもと思うよ。
スティーブン・キングと合わせて、この辺、根っこは同じなんじゃないのか。
……と思ったら、マキャモンのwikiに「スティーブン・キング、ディーン・R・クーンツに次ぐ
モダン・ホラー界の第三の男といわれた」と書いてあった。
たまたま読んだ3人が作風の近い作家だったのが良くなかったんだなー。
印象派として、モネとピサロとシスレーだけを見たら、やっぱり見方が歪むでしょう。
狭い見聞は狭い物の見方しか生まないのだ。
まあ、キングとクーンツはキライだけど、マキャモンはユルせるかもしれない。
色々ブツブツ言っているが、この作品は面白かった。人に薦められるくらいに面白かった。
……ただ、ホラーが嫌いなわたしが、そこを押してまでこの他の作品を読むほど
好きかっていうと、どうかねえ。
「スワン・ソング」とか「魔女は夜ささやく」とか……読もうかどうしようか考え中。
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