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◇ 米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」

著者は2006年に56歳で死亡した。
聞いた時はその若い死を惜しんだし、もちろんご遺族は長生きを願っただろうが、
この本を読み終わった今は、

――この本を残した彼女の人生には意味があった

と思う。

この本の前に、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」という本を読んだ。
これはノンフィクションで、少女期にプラハでソヴィエト学校に通っていた著者が、
長じて当時の親友たちを捜し歩く中で知った、様々な世界と人生を綴っていく作品。
面白く読んだ。

今回の「オリガ・モリソヴナの反語法」も最初の見てくれは全く同じ。
だから、同工異曲の話なんだろうな、と思いながら読み進む。前作が面白かったから、
二番煎じでも別にかまわない。こういう内容をこのスタンスで書けるのは、
日本出版界広しといえど、米原万里くらいだろう。
2作や3作、その経験を使いつくすつもりで書けばいい。

――などということを、読んでいるうちは全く考えることがなかった。
初っ端から、オリガ・モリソブナの強烈なキャラクターにやられてしまったから。
何しろ迫力がある。米原万里の語り口は話し上手な女の子そのままで、
余計な後付け知識のない、当時の少女の視点で語られる。

文章としては巧みさとは縁のない、ごくごく素人っぽいものなのだけれど。
しかし語り物は文章とはまた別の価値を持つ。
無駄のない洗練が、語りの系譜で重んじられることはない。
語りの系譜で大事なのは、あくまで「見たことを語る」こと。
等身大の目線。

米原万里は、根本的には小説家ではなかった。小説家に必要な俯瞰の視点よりも
むしろ対象の近くに位置するジャーナリストの視点。臨場感。
これがこの作品では、非常に活かされている。

米原万里の思い出話に付き合うつもりで読み始めたのに、
いつの間にか人探しに伴うちょっとしたサスペンスになっており、
最終的にはロシアという国の昔と今について述べていた。

これをノンフィクションとして書いたら、きっととても重い話になっていたよ。
だが、小説として書いたことで、キャラクターのユニークさ、思い出のノスタルジー、
出会う人々の言動が適度な甘さとなり、内容の確かさを保ったまま、
口当たりのいいものになっている。巧い。これは誰にでも出来る芸当ではない。
著者自身の経験とキャラクターも含めて、米原万里にしか書けなかったはずだ。

この体裁をとったからこそ、最終盤、愚直に積み重ねていくような謎解きがあり得る。
ジーナが語ることで、やはり語り物としてこの作品は集結するのだ。
それもご丁寧に飛行機の時間がぎりぎりという設定を作り、
言うべきことを言わなければならないジーナが、あふれ出る言葉をひたすら延々と語る
シチュエーションが無理なく成立している。
そうでなかったら、ジーナの長台詞は手紙形式にでもするほかなくて、
その前の部分の手記と似たような雰囲気になってしまう。適度な合いの手も入れられない。
そこまで考えて書いたのなら、すごいね。立派に俯瞰的立場だ。

「アーニャ」を書き終わった時、きっと彼女は「この方法は使える」と思ったのだろう。
この方法でなら書ける。悲惨な時代の悲惨さを遠くから伝えるレポートとしてではなく、
その時そこにいた人の経験として伝えることが。
彼女はずいぶん本を書いた。わたしが読んだのはそのうちの十数冊でしかないが、
最高傑作は間違いなくこれだろう。長く残って欲しい本。

この1冊で、彼女の人生には意味があった。

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