幻想文学!
自ブログへの誘導はしつこいようだが、以前読んだ
「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」
「安徳天皇漂海記」
を経て、今回のこれが3冊目。
ここまで来ると、トンデモのウタガイはきれいに晴れ、はっきり幻想認定、
あまつさえ勢い余って“幻想小説”ではなく“幻想文学”とまで言っちゃったりして。
(文学というには文章自体の完成度がもう一段必要なのか?まあでも読後の勢いで。)
創作順としては
「信長」
「聚楽」
「黎明に背くもの」(未読。次読む)
「安徳天皇」
「廃帝綺譚」(短編集。未読)
らしいんですけどね。
この5冊で10年。寡作な人だ。
といっても、この作風ならそうそう短期間では書けません。
デビュー作の「信長」は1999年の日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
その3年後の作品が「聚楽」。受賞後初作品が3年後は商業ラインとしてはだいぶ遅いが、
いや、これは3年かかるよなあ。むしろよく3年で書いたというべき。
量的にも単行本570ページで、内容も盛りだくさん。
調べることもいっぱいあっただろうし、おそらく専業作家ではないと思われるのに。
宇月原晴明。この人はとにかく東西を結びつけたい人らしい。
今回くっつけているのは、ジャンヌ・ダルク&ジル・ド・レのペアと、
信長&市姫ペアと、秀次&淀ペア。
どう結び付けるんだ、という疑問には読んで下さいと言うしかないが、
読んでもわかるかどうかは微妙だ。まあとにかくこの本に出てくる「少女的なるもの」は
全てグノーシス主義の「宇宙の娘(コレー・コスム)」の象徴というか断片で、
それに付随する……のか対応するのかが、ジル・ド・レであったり信長であったり秀次。
正直、読む速度で理解をするのは難しい話。
一から十まで納得して読める話ではない。戦国大名の裏歴史だけでも錯綜しているというのに、
それに南蛮伴天連の正統と異端との対立を抱き合わせ、錬金術とグノーシス主義という
縄でがんじがらめに縛りあげたような。
眩暈がするような豪華絢爛的妖しの世界。ほんとこの人、オタクだねえ。
曽呂利新左エ門がキャラクターとして光っていた。
あと信長が、出番は少ないが非常に重要なキャラクター。
っていうか、作者の信長愛のせいで少し話の造作が崩れたか?
この話ならば市姫のパートナーとしての信長、でないと難しいと思うが、
あまりに愛がありすぎて、そこに留めておくことが出来なかったんだろうね。
信長は独自で燦然と輝いている。そうするとジル・ド・レとの整合性が……
まあ、この辺かっちり構築するのは多分無理。
それよりも妖しき世界へ志向するこのパワーを買いたい。
しかも偏愛がなければ書けない話であるのに、そのオタク性が冷静に発揮されているのがいい。
こんな話に作者の舌舐めずりの気配でも感じてしまえば、すごーく鬱陶しい話になりますよ。
しかし本としては困難だなあ……。
この本の紹介文だと、豊臣秀次の話なわけです。まあたしかに秀次は中心に出てきます。
が、秀次の話を読みたい人が間違ってこれを読んでしまうと……
多分途中で放り投げたくなるのではないか。
要らぬお世話ながら、歴史小説好きの普通の読み手がついうっかり手にとってしまった時の、
狐につままれたような思いと怒りを想像し、いたく同情してしまった。
それはおそらくわたしが鎌田俊夫のノベルズ「新・里見八犬伝」を読んだ時に感じた
困惑と怒りと同質のものだろう。作品自体の質は別として。
次に読もうと思っている「黎明に背くもの」も、松永久秀の話とか言っといて、
相変わらず何か西洋とくっつけてるんだろうなあ。しかし松永久秀で何とくっつけるんだ。
想像出来ない。
もっとも、信長や秀次とジャンヌ・ダルクも、想像出来るかといったら無理なんだから、
なんでもありですけどね。
読んでいてわりあいにほっとするのが、秀吉と家康の関係性。
この2人は、……切なくて憐れで、いい。いいというか、普通なので安心。
一般的には、結果として(歴史上)はっきり敵になった2人だけど、
生身の彼らには通じ合うものがあったと……思えた方が楽しい。
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