小川洋子は「博士の愛した数式」がとても好きで。が、これ1冊しか読んでいない。
その後「猫を抱いて象と泳ぐ」を課題図書リストに入れ(4年後……くらいかな、読むのは)、
こないだ「博士の本棚」を文庫で買い(8年後(^_^;)くらいかな)、
でもそれらを飛び越えて去年12月発行のこの本を読む巡り合わせになった。
巡り合わせっていっても、単に、図書館から借りてくるよう家人から頼まれただけなんですけどね。
「借りられる本の冊数がただでさえ足りないというのに(-“-)」と眉間にシワを寄せつつ、
予約画面で確認すると、その時点で20人待ち。手にするまで約1ヶ月ほどかかりました。
この人は、たまにラジオで喋っているのを聞くけれど、なるべくして作家になった人だと思う。
喋る能力と書く能力は全然別のものだから、ラジオで判断出来るかと思うだろうけども、
この人には、喋っていても感じられる野放図な――もとい、豊かな感性がある。
感性は想像力を生む。やはり物語は想像力が生命線だと思います。妄想力と言ってもいいが。
想像力は創造力へ進化する。物語は創造の力を強く感じるものであって欲しい。
このエッセイはそういう感性部分をよりよく感じられる一編。
泣きながら笑いながら読みました。
感性っていっても、読んでいる分には全く大したことじゃなく、
「こんな妄想を……」と苦笑する部分も多々あり……なのだが
なんというか、放し飼いにされた感性の自由がある気がする。
だって普通こんな風に書かないって。
久しぶりに田辺聖子さんの小説が恋しくなって「ジョゼと虎と魚たち」を購入。
凄い。こんなに凄い小説がこの世にあるのを、今まで知らずにいたなんて、
私はあまりにも愚かだった。
これはこの本に書かれたものではなくて、2004年に本屋大賞を贈られた時の、
賞金?賞品?の図書券10万円分で何を買ったか、というレポート内の文章だけどね。
いくら小川洋子さんから見れば田辺聖子さんは大先輩でも、
小川さんだって芥川賞作家ですよ。立場上、普通はここまで手放しに礼賛出来ませんって。
レトリックとして書くにはあまりに大仰すぎる。これはやはり素直な感情の発露であろうと思う。
感じる心は片方だけに働くものではない。
大いなる幸せを感じる者は、鋭く辛さを感じる者。
(と、ルーシー・モード・モンゴメリが赤毛のアンシリーズの中で言ってました)
それを考えると“たかが小説”にここまで言える人というのは稀有でしょう。もしかして
日常生活は生きにくい人かもしれないが、しかし作家はこのくらいじゃないと、と思うね。
というように、大変高く評価している作家にしては、1冊しか読んでないってどういうことよ?
――んー。だってなんかコワイんだもん。「博士の愛した数式」が大好きなだけに、
全く毛色の違うものを出されたらどうしようかなあと。
むしろ普段はもっとグロテスクな作風だって、どこかで読んだ気がするしねー。
あ、そうそう、読んだことあるんだ、もう1冊。
「おとぎ話の忘れ物」。コラボ作品だし、あまりスタンダードとは言えないが。
これは厭でねえ……。大多数がこの路線ならもう読まん。と思ったよ。
慎重に検討した上で安全そうな奴をおっかなびっくり読んでいきましょう。
コメント