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◆ 「贋(がん)作の迷宮 ~闇にひそむ“名画”~」(NHKハイビジョン特集)

贋作についての一般的な話は割愛する。
わたしはこの番組を見て、怒り心頭に発した。

このイギリス人の贋作者。名前を忘れたので仮にマイケルと呼ぶが。
なんでこれを肯定する人間がいるんだろう。

マイケルの贋作展を見に行って、その作品を買って、
「まるでルノワールなのよ!ほんとに素晴らしいわ!次はモネの作品を買うつもりなの!」と
喋っていた女がいたが、その絵にどんな価値を認めてるんだ?
馬鹿じゃないかと。

猿真似の製品になんの意味があるんだ。
似てる、だけなら単なる芸でしかない。オリジナルを追及しない創造はあり得ない。
どんなに稚拙な作品だって、最初から何かに似せようとして製作するものと比べたら、
絶対的な価値は前者にあるんだ。背後にそれを生み出した精神があるからこそ価値があるんだ。
最初から創造を諦めた絵は、単なる製品でしかない。

それを勘違いする奴がいる。
描かれたものが巨匠の絵らしく見えるからといって、それが絵筆で描かれたものだからといって、
それを作品だと思い込んでしまう馬鹿が。

たとえばどこかで上手いコンピュータ・プログラムを作った人がいて、
それに夏目漱石の作品をインプットし、そこから組み合わせて「夏目漱石風」の小説を書く。
その小説は夏目漱石か?違うだろう。
そこにあるのは、そのコンピュータ・プログラム自体に対して、
「面白いものを作ったね」程度の褒め言葉がせいぜいであって、その「夏目漱石風」には
作品としての価値はない。背後にあるのは夏目漱石の精神じゃない。

絵も同じだ。
その色使いも。タッチも。構図も。
ルノワールやモネやゴッホがそれぞれに追及して、そしてたどり着いたオリジナルだ。
その過程を全く省いた製品は、つまりは単なるコピーなのだ。
コピーはコピー。コピーに独自の価値などない。

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本人は多分わかっていると思う。自分のしていることは猿真似芸でしかないと。
彼が自分に誇りを持つことはないだろう。

貧乏な時代にお金が欲しくて贋作に手を染めてしまったのは理解出来る。
だが捕まって釈放された後、また同じことをしてしまうのは、阿呆としかいいようがない。
易きに流れる意志の弱さ。その弱さを商売にする本人も、見世物にする周囲の人も、みんな嫌いだ。

残念だったろうなあ、マイケルを捕まえた捜査官は。
マイケルが出所した時、この人はマイケルに、自分の家族の肖像画を依頼したそうなんだよ。
ただし、他の誰でもないマイケル・スミスの絵で、と。

そこで気づけば。そこで自分に向き合う強さを得ていたなら。
今は、マイケルは楽しく絵筆を握れていたことだろう。
売れなくてもいい。売れる絵に価値があるんじゃない。
自分自身にとっての意味は、自分が絵を描くことにあるのだと気づいていれば。

せっかく捜査官が「絵描き」に戻れる道筋を示してあげたのに、マイケルときたら。
でもマイケルのオリジナルを世間が評価しないのは確か。その怖さに耐えられなかったんだろうな。

ところで、NHKもこういう微妙な番組作りはどうなんだ。
判断をテレビが行わなかったのは、それはそれで評価してもいいんだけど……
視聴者に判断を委ねる、大人な作りだったと言ってもいい。
でもそれほど視聴者は大人だろうか。
面白いから。面白ければ何でもいいと思う人間が世の中には多いんだから。
物真似芸を物真似芸として面白がるならまあ正当。別にかまわん。
だが、あんなのを作品として「すごい!」と評価するアホが増えたらたまらん。

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