タイトルから想像して、色々な著名詩人の若い頃ががんがん出てくると思っていた。
が、著名人、それほど出てこない。もっとも登場人物は大抵綽名で出てくるので、
知っている人がいても気づかないだけかもしれないが。
でもよく考えてみたら堀田善衛は昭和初期に大学時代を送った人。
明治期の文士たちは、よくもこんなに、と思うほどみんな知り合いという感じだが、
昭和くらいになると文士も数が増えるし大学生も数が増える。
詩人同士の交流が顕著というわけでもないんだろうね。
堀田善衛はその自由闊達な筆さばきに惹かれている。
実に無造作に書いているように見える。文学をやっているにしては性格がシンプル。
それが文学的に吉と出るか凶と出るかは別にして、
そういう人が珍しいだけに、その明るさに惹かれるんだろう。
で、そういう人が書いた自伝的作品。――やっぱり、これはシンプルっていうんだろーね?
いやいや、若い時はもっと自意識過剰でぐだぐだするもんだろう、と思いながら読んでいた。
なんていうかなー、客観的というか、他人事のようにさくさくっと書いている気がする。
もちろん若い頃のことを、えー、50歳くらいの時に書いているのだから、
相当に省略や脚色が入っているんだろうけども。
ちょっとかっこ良すぎじゃない?青春の(……)みっともなさがほとんど描かれてないよー。
若い頃は背伸びしようとして、そのかっこつけが第三者から見るとけっこうイタイものなのだが、
今作はそういう部分が出ていない。それは元々この人の性格としてなかったものなのか、
作品としてそっくり抜いた部分なのか。……まあ、後者じゃないかなあ。
みっともなくない若者(しかも小説家の卵)がいるなんて、わたしは信じないぞー。
この人は思想的にちょっと……というイメージがあって、政治がかったことが嫌いなわたしは
気になっていたのだが、この作品を読んだ限りにおいては、思想的に真っ赤に染まっていた
活動家というわけではなく、レーニンの書いたものに冷静に共感する程度だったようだ。
ただしその冷静な共感が、その時代(第二次世界大戦前夜)においては不当に迫害され、
その迫害に対して首をひっこめずにいたことで、留置場に入れられたりなんだりしたらしい。
それなりの文章なども書いていたのかもしれないが、あまりそういうことは
この作品では取り上げられていない。
このあたりもどうなのか。実際に主体的には活動していなかったのか、
それとも50歳の本人はそのことについて書きたくなかったのか。
まあそれがどうであろうと、わたしはこの人の文章の背後に現れる本人が好きなので、
いいんだけれどね。
前半はペースも良くかなり面白く読んだんだけど、しかし後半はけっこう飽きました。
400ページ超2段組で量もあったし、後半は迫りくる戦争、それに伴ってますます締め付けが
厳しくなる当局との関係と、同じことの繰り返しになってしまうから。
もっとも戦争前夜の閉塞感も、書いておかなければ片手落ちだろうな。
なんかすごい装丁だな。古めかしい。
わたしが読んだのとは出版年代が同じなのだが、装丁は違うようだ。
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