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◇ カーレン・ブリクセン「草原に落ちる影」

わが愛の「アフリカの日々」の続編。
でもただの続編ではなくて、「アフリカの日々」の出版から相当時間が経って、
著者のほぼ最晩年に書かれた、置土産ともいうべき一冊。

「アフリカの日々」は大好き。
あの本を読み始めた時のことを今も覚えている。最初の数ページを車の中で(信号待ちの時……)
読み始めて、あまりに詩的な自然描写から始まるので、苦手かもな、と思ったんだった。
自己陶酔系かと思って。
しかし腰をすえて読み始めると、もう囚われて逃げられない。
一気に読んで、本当に久々に、いい本を読んだ――と本のカミサマに感謝したのだった。

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ちなみに「アフリカの日々」を、「愛と哀しみの果て」という映画の原作として
知っている人もいるかもしれない。本を実際読んでいない人、その知識はむしろ邪魔だ。
もちろん映画が好きだったので原作を読んでみた人も多いかもしれないが、
わたしは個人的に「愛と哀しみの果て」というタイトルの映画は見る気にもならん。
じんましんが出そう。邦題をつけた責任者出てこい!
つまり「愛と哀しみの果て」がどんな映画であろうとも、そのタイトルから想像される話とは、
「アフリカの日々」は全く別物なんです!!

「愛と哀しみの果て」なんてタイトルだったら、どー考えても中心になるのは、
主人公であるカレン・ブリクセンとデニス・フィンチ=ハットンの恋愛でしょう。
それは全然違う。

「アフリカの日々」はアフリカの話です。
ブリクセンが、我が手から失われつつある愛しいアフリカを、
失うことを自明の理として受け入れながらも、それに耐えきれずに書き綴った文章。
憧憬。失いつつある愛しいものへの憧憬が書かせた文章。
だから切ない。心に響く。水が一滴ずつ滲み出るように近づいて来る美しい悲しみ。

――という風に書くと、ベタベタな文章を想像してしまうだろうけど、
それは単にわたしの思い入れがシツコク表現されただけで、
作品自体は、これが実に淡々と書かれている。そこがいい。
美化も理想化もフィクションもあるに違いないが、
憧憬に溺れる自分は、彼女の美意識に反するのだろう。
理性的に静かに語られる憧憬は美しい。

※※※※※※※※※※※※

「草原に落ちる影」は数年前に一度、図書館で借りて読んでいる。
わりあいに薄い本だったのでその場読み。――が、読みながら滂沱の涙を流し、
ちょっと(いや、かなり)ヤバイんじゃないか、と思いつつ何とか読み終わった。

彼女がアフリカを出てから何十年も経って。
わたしは「草原に落ちる影」で、またあのアフリカに出会う。なつかしさを共有する。
ああ、そう、この人もいた。あの人も。名前を言われても思い出せない人も。
遠く離れても、お互いの存在は心の中の温かい記憶。
そういう人々の関係性は、美しい。

長い年月が経っているわりには、ブリクセン本人の軸は驚くほどぶれてないように感じる。
離れて時間が経つと、好きが嫌いになることはないにしても、
やはり当時の感情とはだいぶ変わってくる可能性もあるでしょう。
彼女はずっとアフリカを愛した。
“カレン・ブリクセンは生涯アフリカに忠実な友情を持ち続けた”
彼女の年譜にはそう書かれるべきだ。

憧憬の地は心の中でひっそりと光って、その温かさが救いになることもある。

wikiのカレン・ブリクセンのページで、50クローネ札に彼女の肖像が使われていると読んだら、
それを手に入れるためにデンマークへ行きたくなった。
さすがにそれは現実的じゃないなー。
しかし勢いあまって彼女が住んだルングステッズをグーグルアースで検索してみたところ、
けっこうコペンハーゲンから近いじゃないですか。直線距離なら20キロくらい。
うーん。ストップオーバーでも何とかなりそうな。

いやいや、考えるな。その前にまず愛知県尾西の三岸節子美術館に行く方が先だろう。

草原に落ちる影
草原に落ちる影

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わたしはこの本を買いました。
みなさんありがとうございました。

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