そんなには書く内容もないのだが……苦労して読んだので一言。
“各種資料を駆使し、「イエスその人と出会う」ことを目的に、17年をかけて書き上げた”
という惹句を見て読んでみた。人間イエスからのアプローチではないかと思ったので。
しかし当然のことながら、信仰者にとっては人間イエスは有り得ないことなんでしょうな。
つまりわたしの読みたい本ではなかった。
でも部分部分には、有用な知識があった。「まことにまことに私は言う」の慣用的な意味とか、
えー、細かいことは忘れたけれど主に習俗的な知識。たしかにそれを知っているといないでは、
聖書を読んでいても理解の仕方が違ってくるだろうな、という細かい部分。
それは著者が現地でかなりフィールドワークを重ねたのだろうと思わせる。
が、実際どのくらい現地の習俗に精通した上で書いているのかは不明。
わたしは使徒たちの描き方が気になった。
イエスとの対比で仕方ないのかもしれないけれど、使徒たちの言動があまりにもアホっぽく
書かれている。何度言ってもわからない、学習機能がない人々。
イエスの言動は、当時の常識を打ち破るものなんだから、戸惑って当然なのにさ。
それを信仰が足りないとか、愚かだとか言われてもなあ。
人間の行動基準って結局は経験則でしょ。経験則から外れたものを消化するのは大変だよ。
わたしはユダがかわいそうなんだよ。
ほんと、イエスの足に塗る香油にそれほどのお金を使うのなら、
そのお金で貧しい人に施しをしろと言いたくなるよ。その方が合理的じゃないか。
結局、ユダは神に贖罪システムのスイッチとして使われたわけだけど、
本当に犠牲になったのはイエスではなくてユダではないのかと思う。
絶望のうちに死ななければならなかったのだから。
人に信仰のみを求めるのなら、神様は人間に脳みそなんか与えなければ良かったのにね。
最後の章である使徒行伝の部分はあまり馴染みがなかったので面白かった。
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そして、意図したわけではないが、次に読んだのがこれ。
筑摩書房
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この本では、大雑把に言って、キリスト教徒側は残虐で野蛮に、
イスラム教徒側は無能に書かれている。(サラディンは別)
アミン・マアルーフはジャーナリストだそうなので、
さくさく読みやすいといえば読みやすいが、完全に「いつ誰が何処で何を」という記述に
終始しており、読み物としての旨みは少ない。加えて、イスラムの名前というのは
覚えにくくなかなか区別がつかないから、(1ページに違うイブンさんが数人出てくることもある)
何が何やらわからなくなった部分も多々ある。
ただ侵略された側から書かれたという意味で稀少。
……「新約聖書物語」でキリスト教の誕生を見た直後、
何百年かを経るとこれがこうなってしまうのだ、というのを見て、フクザツな気分でした。
赤んぼ時代の無垢な可愛らしさの記憶しかない所に、突然成長後のグレまくった姿を見てしまった、
というような。グレたらあかん。
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