2週間くらい前から、記事にしようかどうしようか迷っていた。
基本的に現実社会とは関わりのないブログだし、他人事と言えば他人事だからね。
だが、まあ自分も三次被害者くらいの位置にはいるわけだし、今後ますます増える傾向にあると
思われるので、せめて一人でも“災厄”を減らして欲しいという願いをこめて。
何の話かというと……DQNネーム、イラネームなどと呼ばれる、
読めない名前のことです。(以下、これを「ナマエ」と表記)
こないだ、こんなページを見かけた。
http://dqname.jp/
わたしはものすごくものすごくものすごくナマエが嫌いで。
どのくらい嫌いかというと、
路上にポイ捨てをする人
早坂○紀並みにヒドイ本を書く人
と同じくらい。憎しみを抱く。不幸になってしまえ!と呪う。
ナマエをつけられた子供に罪はない。ただただひたすら親がアホなだけですが、
ああ、そんな阿呆な親を持った子供の不幸なことよ。
わたしは学校の先生にならなくて良かった。
クラスの半分もがナマエで、それを呼ばなければならない毎日を想像する。……耐えられない。
多分日経たずしてキレ、読めるようにしか呼ばなくなり、本人の訂正も聞き入れず、
PTAで「子供の名前を覚えず、人権を無視する先生」として
(主にモンスター・ペアレンツに)つるしあげを食うことでしょう。
わたしは小児科の看護婦さんにならなくて良かった。
「○○ちゃーん」「××です」「……え?だってこの漢字、どう読んでも××とは
読めないじゃないですか。○○ちゃんでしょ?」「……いえ、××」
「へー……(と親を、上から下までじーっと見た上で冷笑)」
これをナマエをつけた親全員にやった結果、解雇。多分そうなる。
ナマエをつけた皆さん。
名前というのは、一体何のためにあるかわかっていますか。
名前は何よりもまず、他人様に呼んでもらうために、読んでもらうためにあるんです。
世界にたった1人しか人間がいなかったとしたら、名前は不要。
2人でも多分不要。3人いて初めて必要になり、そこからが社会です。
名前は社会の中でこそ必要とされる役割を持ったものなんです。
それなのに、どう考えても読めない名前をつける。
それって一体どういうことですか。
読まれることを、呼ばれることを必要とするのが名前なのに、
読めないナマエをつけてどうしようっていうんですか。
それは、子供に「乗れない自転車」を押しつけるようなものです。
自転車に、ごてごてと、造花だのモールだの、挙句の果ては電飾などを取り付けて飾り立てる。
目立つ。世界で1台しかない。変わっているので覚えてもらえる。
それはその通りかもしれません。
しかし悪く目立つ。世界で1台しかなくても、同じくらい悪趣味な自転車は昨今ごろごろしている。
「ナマエは忘れたけど、とにかく変なナマエだったよね」と、肝心のナマエ自体は忘れられる。
サドルに乗ることも出来なければペダルもこげないような自転車に自転車としての
価値がありますか。そんな自転車をもらった子供が喜ぶと思いますか。
しかも――自転車ならまだいいんです。自転車は、本人が気に入らなければ
乗らないという選択肢だってあるんだから。
でも名前は、死ぬまで子供について回ります。一生。その名前で呼ばれ、その名前を書き、
そして笑われ続けるんです。ナマエ嫌いな人(決して少数派ではない)には嫌われるんです。
読める名前を付けてください。
絶対その方が、子供は幸せになれます。必ずです。
名前が個性ではないんです。個性は、本人が生きて育てるものです。
親が安易に与えられるものではないんです。
変わった名前が個性だなんて、間違った思い込みは止めて下さい。
それよりもまず、誰にでも読めて、嫌われない、しっかりした名前を。
それが何よりの贈りものです。
これから我が子に名前をつけようと思う皆さんは、上記のサイトの「チェックリスト」を
よくご検討下さい。
生まれてからではなく、生まれる前からじっくりと考えて下さい。
妊娠前からじっくりと考えて下さい。
ある程度決めたら、友人の中で一番常識人と思われる人に、さりげなく訊いてみて下さい。
「○○って名前どう思う?」と。
答えが「珍しい名前だね」「個性的な名前だね」と返ってきたら、考え直して下さい。
上記の返答は「変な名前」と言いたくて言えなかった場合の典型的な反応ですから。
……もうほんとにね。お願いしますよ。
せめて子供の名前を付ける時くらいは理性を働かせて下さい。
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