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◇ 日野啓三「ユーラシアの風景」

こんなにあちこちに行きやがってうらやましいぞ!!
……と、まず悪態をついてから読み始めた。

どういう人かは全く知らず、この本も池澤推薦で読んでみた。
(ここのところ池澤推薦が続くが、つまりは池澤の書評本を1冊読んで、
食指が動いた本のタイトルが課題図書リストの読む順番にさしかかっている、ということ。
何か書くかどうかは別にして、あと10冊程度は池澤推薦の本が続く。)
彼は、日野啓三に親近感を持っているようだ。
たしか「この人の旅先での思考には共通するものが多い」という言い方ではなかったかな。
なるほど。と思いながら読んだ。彼がそう言うのはわかる気がする。

肩の力を抜いて書き綴った、訪れた土地から連想の糸が伸びる短いエッセイ。
文・写真とも著者によるもので、さすがに若い頃に撮った写真が多いらしく、
カラー写真の褪色が時代を感じさせる。元々は新聞記者、特派員をやっていたそうで、
写真自体の出来はまあまあ。何枚か二重写しになっている写真があるが、
それはそれで面白い効果を挙げていたのでご愛嬌。
とはいえ、二重写しの写真を印刷物に載せようということ自体は疑問だが……

読む前のイメージだと、ガチガチの純文学の人で、大家。という感じだった。
いや、それは名前の雰囲気から。どんな小説を書いた人か、全然知らないしね。
でも読後Wikiを見てみたら、けっこうな賞取りの人らしく――芥川賞もだね。ふーむ。

言葉の選び方は好きだった。読む前に好きか嫌いかわかる文章があるけど、これは好きな方。
いや、これはそんなに超自然的なことを言っているわけじゃなくて、
ぱっと見で、自分がシンパシーを感じる単語を使っているかどうかってこと。
アラビアンナイト。華やかな幻想。イスファハーンの優雅さ。ペルセポリスの廃墟の荘大さ。
こういう単語はこっち側。親しみをもって読み進められる。

でもすごく気になった部分が。
1本1000字前後のエッセイなんだけど、その締めの言葉が、なんだか陳腐。
きれいに締めると言えば聞こえはいいが、紋切型というか、妙に良いことを言いたがるというか。

人には書きグセがあり、ということは得意不得意もあるわけで、
書き出しが苦手な人、最終行が苦手な人、タイトルが惜しい人、タイトルだけは傑作な人、
ネーミングが下手な人……まあ人生イロイロ。
この人は最終行が苦手なタイプなんだろうなあ。いつも困りながら書いていたんと違うか。

わたしはここに、この人の前歴の弊害を見る。
……わたしには偏見が、それはもう数多くあるが、その一つが、
「記者出身の作家には味がない」というもの。
彼らの視点は小説を書くにはリアルすぎるんじゃないかね?

“育ち”は大事ですよ。万人にわかるような文章を書くことを生業にしてきたわけだから、
いかにもブンガク、というような自分勝手な方向にはきっと行かないのだろう。
それはそれで大変結構なこと、自分のためだけに書く文章よりは他人のために書く文章の方に
わたしは賛成する。賛成はするけれども……小説にはもう少しモヤモヤっとしたものが
あった方がオモシロイんじゃないかなあ。
あ、いやいや、わたしはこの人の小説をまだ読んでいないんだった。
読んでないのに、小説の話をしてはいけませんな。これはエッセイでした。

でも、司馬遼太郎あたりにしても、読めば面白いが積極的に読む気にならないのは、
やはりこのモヤモヤが足りないせいではないかと思う。
かと言って、あんまりモヤモヤだらけでも、それはそれでイヤだけどね。

というわけで、最後の締めが紋切型なのは、新聞記事を書く際についた、
「小さく警鐘を鳴らす」という癖なのではないかと疑っている。
天声人語っぽいコラムの締めってわりとそうじゃないですか。単に面白かったー、とか
ダメだー、あかんーとかで終われずに、しっかり着地させ、問題提起なり、啓蒙なりで
まとめなければならないという。
そういう「マトモ」な癖がついてしまったんじゃないかなあ。

とはいえ、80%は好きになれるエッセイだったけどね。
今度は小説を読んでみよう。

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日野 啓三
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掲載紙が「ユーラシアニュース」。ユーラシア旅行社という旅行会社が出している雑誌らしい。
なので、このタイトル。ユーラシアなんて完璧に学校知識で、日常で使ったことはありませんよ。

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