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◇ 古川日出男「サウンドトラック」

うーん。これなあ……。

パワフルさはある。書き手の技術も感じる。目新しさという意味では面白い。
個々で評価する点はわりあいあるが、一本の小説としては、
うーむむむむむむ、……ダメ、だなあ。

読み始める前は、厚いし二段組だし、読むのがどうも気が重い、というような本。
前回の「アラビアの夜の種族」がつまらなかったからね。
だが、観念して(読まずに図書館に返せるか?)読み始めて思う。
……けっこう、読めるな。
最初はトウタとヒツジコの話。有り得ないし好きではないし、材料には魅力を感じないけど、
文章。雰囲気。引きこむ力はある。1時間半+2時間位はスムーズに読み続けた。
(この“読み続けられる”というのは、小説の最初で最大の評価点だと思う)

でも一旦中断すると、再度とりかかるのが実はイヤ。意志の力を必要とする。
だってわたしは別に崩壊しつつある世界の話とか読みたくないんだもの。
いや、大元が世界崩壊の話でもいいんだけど、外国人VS日本人の対立とか、
廃ビルに住む不法居住者とか、ヒツジコの養親のなんたらかんたらとか、
レニの住む“レバノン”、鴉、性分離とか、わたしが親和するキーワードが全くない。
この小説はわたし向きじゃない。

かろうじて前半部であるヒツジコ(+トウタ)のパートは面白い……かな。
これだけをシュール少女小説として完結させた方が、わたしは小説としては評価しただろうな。
ただ、そういう話を自分が読むとは思わないが。

実は、この「サウンドトラック」は以下のような経緯をたどっているらしい。

   「小説すばる」掲載の中編『東京の遥か南、東京』(二〇〇二年二月号)、
   『神々が笑いながら坂を昇り、降り、人差し指で巨樹を殺して(しかし彼らには
   四本の指しかない)、洞に消えた。そこに東京の臍が』(同年六、七月号)、
   『多年草の西』(同年十、十一月号)の三作品をもとに本書の前半部分を構成した。
   ただし、雑誌掲載バージョンは作者自身の手による再ミックス作業を経ている。
   後半は書き下ろした。

うーん。どうなんだろうねえ、こういう作り方は。
それなりに再構成しているんだろうし、作者本人も良くなると思ったからこそ繋げたんだろう。
でも、後半と結末の放り出し具合を見てしまうと……不可。

一応後半の(ということは全体としての)話の根幹はレニのパートなはずなのだが。
わたしはレニパートはなんだか意味がわからなくて、最後までわからないまま。
なんで鴉を救うのが映画?
ナニ?写真銃って?
もうちょっと注意深く読めばわかるのかな。
悪いけど、レニパートは少々流し読み気味だったので、そのせいか。
でも流し読みになってしまう程度の興味しか覚えられなかったのだから、しょうがないよなあ。

一番ダメだなあと思うのは、やはり結末なんですよ。
結末の散らかり具合は、作者が収拾出来なかったと考えるしかないような。
レニとトウタは関わるにしても、ヒツジコは後半、全くほっとかれてるしねえ。
むしろ、再構成するなら、トウタとレニの話だけにしても良かったさ。
ヒツジコパートは前記のようにシュール少女小説にして。
これを二つ合わせる意味がわからない。

後半、読み続けるのに苦痛を感じ始めてからは、池上永一と比較していた。
この作品、道具立てはかなり池上永一「レキオス」「シャングリ・ラ」と近いと思う。
アレも相当にとっ散らかった話で……でもアレは呆れつつも好感を持ったのに対して、
こっちはいいところを認めつつも好きになれんなあ、と思ったわけだから。
微妙に、しかし大きく違う。どこが違うのか?

……優しみ、かなあ。どちらもそれなりのユーモアを含み、上手さでは古川日出男の方が
勝る気がするけど、池上永一の方が感じられるものが温かい。
バカっぽさも池上永一の方が上。(これがアドバンテージかどうかは不明。)
まあ、単に池上永一のオタクである部分にシンパシーを感じているのかもしれないけど。

そう言えば、これは2003年に出版された、2009年を舞台にした“未来もの”。
今年読んだのも因縁か。微妙な気分になりました。

サウンドトラック
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上手いけどね。作品ごとに、新しいものを出してくるのは一応エライですけどね。
古川日出男は3冊で読了。好きには、なれない。

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