PR

◇ 西岡常一他「木のいのち木のこころ」

美しい本だ、と思った。何が美しいといって、天の巻と地の巻のハーモニーが美しい。

この本は元々、
「木のいのち木のこころ 天の巻」(西岡常一談・塩野米松構成)
「木のいのち木のこころ 地の巻」(小川三夫談・塩野米松構成)
「木のいのち木のこころ 人の巻」(主に塩野米松による小川三夫の弟子たちへのインタビュー)
という3冊の本を、文庫にするにあたって1冊にまとめたもの。
1冊にしたのは大成功。これを3冊で読んだら、わたしは感動はしなかっただろう。

正直、宮大工の本でこのタイトルならば、内容は十分予想が出来る。
予想が出来る本は読む気にならん。人間、そんなもんでしょう。

この本の場合、実際に読んでもだいたい予想通りのことが書いてあるわけだよ。
どこかで一度は聞いたことがありそうな内容。しかも、何度も同じことを繰り返す。
聞き書きだから何回も取材して、その度に多分同じ話になるんだよね、きっと。
普通なら「もうそれはさっき読んだ」と言いたくなってしまいそうだ。

1人の人間が語れることで本当に大事なことなんて、実はそれほど多くはない。
人が一生かけて得るエッセンスは、せいぜい十とか、多くて二十程度なんだと思う。
天の巻で西岡常一が語る内容は、その十とか二十の話。

しかしこの1冊のなかで同じ話を4回読んだ後、5回目に心に届くことがある。
これは聞き書きの効能だろうか。談話の形で読んでいると「この人はこの事を
本当に言いたいんだ」というのがだんだん伝わってくる。
本当に言いたいことが、頭じゃなくて心に届く。それがこの本の価値。

実は地の巻も、内容は天の巻と相当に重なっている。
西岡常一が唯一育てた弟子が小川三夫。小川三夫が語ることは、全てではないにせよ、
すでに西岡が語っていることだ。
しかしそれが……まるで変奏曲のように美しくからみあう。
西岡が語ったことを小川がまた語る。だが小川が語る時には、そこに西岡の姿もある。
西岡が語ったこと、語らなかったこと。小川からの視点で見ることで重層的になる。
2人の言葉が巧まずして共鳴する。それが美しい。

この1冊を読んだだけで「2人の人間の関係性として一番美しいのは、
実は師弟関係なのかもしれない」と思ってしまったほど。
考えてみると、師弟関係には全てがある。
親子のような愛情。
同じ道を歩む同志愛。
好敵手。
価値観の共有。
どんな関係性よりも濃密かも。

この師弟関係の後では、人の巻には多少蛇足感があった。
人の巻は人の巻で大事だったけどね。メインの内容は、およそ20人の
小川三夫の弟子や弟弟子たちのインタビュー。
これはこれで、視点の重層化に役立っていたが、本の作りとしてはちと足並みを乱す。
全てを聞き書きでまとめていれば、きれいな形だったが……
天の巻地の巻にはなかった、聞き手の存在がくっきりと浮かび上がってしまった。
それが惜しい。
本文を聞き書きにして、入舎式や西岡の文化功労賞授賞祝いの席の話は、
あとがきのように書いた方が、本として美しくまとまっただろう。

さらに言えば、糸井重里が出てきて、小川三夫や塩野米松と対談するのなんてのは、
完成度の点から言えばもう本当に蛇足。糸井重里は嫌いじゃないけど、
体験にしっかりと裏打ちされた天の巻地の巻を読んだ後では、うすっぺら感が漂う漂う……
まあこれを入口としてこの本を読んだ人も多そうだから、そういった効能はあるけれども。

最近こめんどくさい本ばっかり読んでいて、こういう心に来る本とはしばらく
巡り合っていなかった。宮大工で寺の話のせいかもしらんが、押し戴くように
「アリガタイ」と思ってしまった。
わたしは人生訓ものはキライなので、人生訓としての読み方はあまり薦めたくないが、
こんな人がいる(いた)のを知ることは、やはり大事だ。

木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)
西岡 常一 小川 三夫 塩野 米松
新潮社
売り上げランキング: 872

人の巻でとても好きなエピソード。
弟子の一人で、オオノコウキという人。インタビュー当時、この人は27歳前後だったらしいが、
小川三夫や自分の仕事について吶々と喋った後、自分の両親のことに話が及んで。

   最近は、お盆も帰りません。いまでも家には、自分はまだ飯炊きだって言ってます。
   いつもそう言っていますよ。だけどこのあいだ両親がはじめて来たんです。
   いままでは、どこの現場に行っても居所は言わなかったんですけれど、
   ここ竜ヶ崎のときは、ちょうどおばあさんがぐあいを悪くしてもう死にそうだったので、
   連絡してもらわないと困ると思って電話番号と住所を教えてあったんです。   
   そうしたら勝手に来たんで、びっくりしました。 
   ちょうど親方がたまたまいた日だったんです。
   「削りものなどさせてもらえるのでしょうか」
   と母ちゃんが聞いたので、親方が、
   「オオノはここの棟梁ですよ」
   と言ったら、もう本当に驚いていました。

……お母さん、泣いたろうなあ。27歳で飯炊きだなんて、息子はやっていけるのかと
ずいぶん心配していただろう。そうしたら、――何しろ宮大工だもん、手がけるのは
その辺のおうちじゃなくて大きなお寺とかで、その大きな建物を作ったのが自分の息子。
しかも棟梁。
嬉しくて泣いただろう。わたしも泣いたよ。パスタ屋で。
しかし息子。親御さんには、せめてもう少しちゃんとした近況報告をしたらんかい。

コメント

  1. 私も読みました
    プロの師弟関係すごいですよね。

    ただ、宮大工というものが失われていくようなのは残念でした。

    官僚は生き延びるのですが・・・。

  2. umeko より:

    Unknown
    いらっしゃいませ。

    技術は必要性がなくなった時に息絶えてしまうものですね。
    過去の遺物にはあるのに、現在失われた技術のなんと多いことか……