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< 白洲次郎 第2回「1945年のクリスマス」 >

期待と不安の第2回。

本当に隅々まで神経が行きとどいたドラマだ。感心。
演出が、やはり偉いかな。ちゃんとコントロールし計算している。
顔の角度。視線の動かし方。ある意味、様式美を追及しているのかもしれない。
「型」。少し癖があるが、奇をてらうというほどにはなっておらず、いい所でまとめている。

近衛さんと次郎がが武相荘の縁側に座っていたシーン、
磨いて黒光りしている床に映った緑がきれいでしたねえ。
これは「やられた」と思った。計算じゃないでしょう。たまたまあのアングルで
画面に映したらとてもきれいだった、ということで。
……そこまで計算してセットを作っていたら、神のごとき炯眼だよ。コワイよ。

お百姓さん先生のアップ、いい表情だった。
次郎と畑仕事をしている所のアドリブっぽい部分(アドリブではなかろう)の演技も、
次郎ともども、いいなと思って見ていた。

行間を味わう愉しみがあるドラマなんて……まあ、普段あまり真面目にドラマを見ていない
わたしが言うのもなんだけど、めったにない。ほんとにめったにない。絶滅に瀕している。
目を離さずに真剣に見た。そんなことが出来るのが嬉しかった。

と、言いつつ、文句を言いたいこと1点。
近衛さんへの直言シーン、またあの階段でそっくり同じに作ったのは何でかね?
「またしても忠言容れられず」ということは、別に場所を同じにしなくても伝わったと思うが。
だいたい前回もそうだが立ち話で済む話じゃないだろ。そういうデリケートな話題を、
なぜ衆人環視の前で行う、次郎よ?近衛さんにだって面子があるだろう。
あれじゃあ「そうか」とも言えないさ。デリカシーのない奴だ。

ニヤニヤしたいこと1点。
亀治郎よ、演りすぎだろう。つまり演出がやりすぎだよ。
わたしのイメージだと、河上徹太郎の造型の方が青山二郎っぽいな。
ってか、秀雄は出てこないのかい?この正子を巡る人々が、この程度で終わってしまうのは
もったいなさすぎるが……。3話では出てくるかな?

へ、と驚かされたこと1点。
8月15日、敗戦時の天皇のラジオ放送、あれを割愛するとはねー。
突然GHQへ画面が繋がった時は、思わず声に出して「へ?すぐここかい!」と言った。
たしかにどんな風に撮るにせよ、音声だけを使うにせよ、手垢はつきまくってはいるが。
しかしここはどんなに手垢がついていようと避ける部分とは思えなかったけどな。
ここはある意味「奇」かもね。(他に、河上のピアノ部分は相当に「奇」が入っている)

ちょっとキライなこと1点。
役者の顔があまりに橙色に映されているのは、わたしはキライだよ。
たまにならいいけど、けっこうな頻度でみんな橙色なので。
あそこまで色をつけるなら、せめてもう少し薄い色にして欲しかった。

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次郎は実は、何をしたって人ではなかったんだよね。比較の問題ですが。
つまり教科書級の人物ではなかった。彼がやったのは大仕事ではなくて小仕事。
大仕事は吉田茂がやったんだろう。次郎はむしろ歴史の小さな華として、というような存在。
徒党も組まず。だからこそさわやかでかっこいいと人気が出るんだろうけどさ。

そんな人物を主役に据えて、1時間半×3回のドラマにしたのも英断だ。
2時間スペシャルで、という選択もあり得たと思う。次郎の事績に話を絞るなら。
次郎の行動部分だけならば、4時間半、一体何を映すんだと言われても仕方ない。

しかしこのドラマは「ドラマは出来事だけを映すものではない」ということを証明しましたね。
空気感もドラマの要件になりうることを。空気感をちゃんと描けるドラマの上等さを。
しみじみ感じさせてくれた。
こういう、ちゃんと作ったドラマならなー。「作品」なのに。

さて、そして。第3回は8月になるそうで。
これは制作陣も無念だろう。間が空くことでやはり一度気合は抜けますわな。
でもまあその分、手を入れる時間が出来るということかもしれないし……。
上手く着地出来るかな。
期待しつつ、5ヶ月。てぐすねひいて待ちかまえますので、NHKはがんばってください。

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