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◇ 源氏物語についての駄弁。(その2)

(その1からの続き)

わたしは読解力がないので、あまりこれという答えは出せないのだが。

ストーリーはね。皇子として生まれた世にもめでたい男の子の一代記。
……こう要約すると身もふたもないな。「千年の恋」とあまり変わらないレベルだ。

えーと。重要な設定&出来事は。

皇子として生まれた・人に優れた
母を知らないことによるマザーコンプレックス→多くの女性遍歴
須磨へ蟄居
呼び返されて栄華を極める
妻を盗まれる・最愛の人を失う
衰弱→死

という感じだろうか。一応これが話の骨。
源氏は主役だから――しかし狂言回し的な役割を濃厚に背負った主役だけどね。
でもまあやっぱり源氏抜きでは話が始まらん。彼をきっちり描くことが大事。

であれば肉は、やはり源氏をとりまく女君たちだろう。彼女たちの生き方を描く。
紫式部は女性の生き方のカタログ化を明確に意識していたと思う。
でなければあんなにお姫様を並べないだろうから。
源氏関連だけで10人じゃきかないからなー。

ただ、カタログ化と考えていたのなら、女房相手の恋愛が皆無というのが多少ネック。
いたっていいと思うんだよ。紫式部にとって最も身近な人間関係なんだから。
唯一、源典侍……といってもこれを恋愛というのもなあ。
源氏と肉体関係があった女房もちょこちょこいること自体は書いているんだけど、
エピソードの主役には据えてないからね。
願望充足に見えることを嫌ったのかね。書き手として、あまり自分に近い部分を書くのを
嫌う作家がいることは想像出来る。現代作家でも自分を書かない人は数多くいる。
あるいは、当時の視点では女房階級は物語の登場人物としては「数ならぬ身」だったか。

こないだたまたま角田文衛の「紫式部とその時代」を読んだ。前も別な本で読んだが、
彼はどうしても「紫式部は同性愛的な傾向がある」と主張したいらしい。
……まあ、ないとも断言できないけどね。ただ、同性愛とは違うだろう。

男性の場合“男同志の友情”“男が男に惚れる”とかいうでしょう。
それと似た感じで、女性は女性に愛憐の情とか憧憬を抱くんだよ。
男性にとっての好きなスポーツ選手に対する気持ち。
女性はまあ、宝塚とか好きな同性芸能人に対する気持ち。
同性愛というよりそういうものに近いんじゃないですか。

個人的には、源氏物語の最大の魅力はその雅。この辺も肉かな。それとも皮かな。
なので、わたしが一番好きなのは若菜あたりのゴージャスな雰囲気。
六条院が出来て、それぞれの御殿を割り振った後、紫の上と秋好中宮が
春と秋の競い合いをするエピソードなんかも好きだ。
かなり初期の方だけれども、朧月夜に逢う時の花の宴とかも。
皆が正装をしているなか、源氏だけがゆったりとしたふだん着?を着て行って
(これが許されるのは源氏の身分が高かったかららしい)、
それがいかにも雅だった……なんていうエピソードも。うっとり。

ここらへんに関しては、関連本で読んだ、
「清少納言が枕草子で中関白家の栄華を書きとどめようとしたのに対抗して」
道長一家をモデルにその華やかさを書いた、という可能性はあると思う。
ただ、それが目的ではない。出発点はおそらくそこにはない。

紫式部が源氏物語を書いた出発点は何なのか。

……これって、それを専門に研究でもしないと出ない答えでしょー。
なので、わたしの簡単な想像と知識で話を作りますが、

紫式部がこの話を書き始めたのは、おそらく夫・宣孝を亡くして無聊をかこっていた頃だと思う。
無聊をかこっていたといっても、それは単なる有閑マダムとしてではなく、
夫に死なれ、娘を抱えて先行きに不安を持ちながらの無聊。
その不安と無聊を慰めるために書き始めたのではないかと想像する。

父は結果的にずいぶん長寿だったようだが、紫式部が夫を亡くした頃はもう50歳過ぎで、
当時で言えば老人。(金回りがいいと言われる)受領階級の中で、
それほど上手く立ちまわれた方ではなかったので、金満家とは遠かったと思う。
宣孝も、死んだのはけっこう突然だった気がするし、比較的年若い妻である紫式部が
夫から受け継げたものはあまりなかったことだろう。
財産は基本、親から娘へ引き継がれるものだからね。

夫が死んでから宮仕えに出るまで5年かそこら。
時間的に源氏物語四十帖は書けるにしても、宮仕えに出る前に書きあがったとは思わない。
というのは、後半の豪華さは、やはり目の前で豪華さを見た人が書いたものだと思うから。
内裏で(この時代は里内裏か?)道長鍾愛の彰子中宮の女房として、
絢爛たる世界を観察して書いたものだろう。

なので、就職活動のために源氏物語を書いたという解釈はどうも……
紫式部は、元々道長一家とは懇意とまでは言えなくても血縁関係だし面識もあった。
道長サイドがちょっと本気を出して質の高い彰子付き女房を探したとしたら、
当然目につく存在だと思うんだよね。おとーさんの文才は認められていたはずだし。
学者の娘で、本人の学才も豊か、生真面目な性格、ということを知っていれば
中宮付き女房としては十分じゃないですか。
源氏物語が女房としての採用を左右したとは思えない。

最初の数編、桐壷から夕顔までは、海のものとも山のものともつかない。
空蝉にしても夕顔にしても、短編という感じ。源氏の一生を見た場合、あまり重要な位置を占めない。
夕顔の娘の玉蔓は後に繋がる設定だが、でも玉蔓の存在そのものも、
エピソードとしてはわりと独立してるんだよね。取り外し可能。オプション的。
後付け設定として上手く利用したとも読める。

さらに、彼女たちは「お姫さま」ではない。空蝉は更衣の話もあったようだから、
ある程度は身分のある父を持つ人だったのだろうし、夕顔もたしか父が三位くらいだと思ったから
紫式部自身よりは本来身分のいい人ではあるけれど、彼女たちは父に死なれて没落しており、
受領階級と大差ない。
この辺を、宮仕え前の紫式部だからこそ舞台を自分の目に届く範囲にせざるを得なかったと見る。

話が動き始めるのは若紫あたりからでしょ。
この辺りから、初めて彼女は本腰を入れて書こうとしたのじゃないかなあ。
それまでは、源氏という人物のあっさりした連作短編集。「伊勢物語」的な。
……先行作品として「伊勢物語」と「竹取物語」しか知らないから
こういう言い方になってしまうんだけどね。

最初は単なる手すさび=気晴らしだったのだと思う。
それが周囲で好評だったから書きつないでいった。……ただその場合、連作短編集から
長編へシフトチェンジする理由も欲しい気がするんだけどね。思いつかない。

――だがしかし。
今、夕顔の最後の部分を読んでみたら、与謝野訳でこんな文章があった。

   こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏のした恋の話は、
   源氏自身が非常に隠していたことがあるからと思って、最初は書かなかったのであるが、
   帝王の子だからといって、その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが
   書かれているではないかといって、仮作したもののように言う人があったから、
   これらを補って書いた。なんだか源氏に済まない気がする。

はは。こう書かれちゃうと、今までわたしが書いて来たことはまったく成り立ちませんな。
若紫以前は後で挿入されたものだと言えば、それはその方が納得出来る。独立性もあるからね。

そもそも、紫式部はどの段階でリリースしたんだろうね?
全部が出来上がってからのリリースではないだろうと思うのだが……。
「途中の下書きを持って行かれて困った」というエピソードが何かに出てくる。
でも連載小説のように、一編を書きあげてそれが本人の手からすぐ離れてしまう状態だと、
後に戻って書きなおしということがしにくくなるもんな。うーん。
それとも、やっぱり宮仕え前にほぼ完成を見ていたんだろうか。
源氏物語には異本もけっこうあるようだし、その時々の改訂版が流通していたと
考えるべきなのか?

それこそこんなことは原文を読んで、かっちり研究しなければ何とも言えん。

※※※※※※※※※※※※

今までぐだぐだ書いたことを置いておいて(……)、
初めに戻って、「源氏物語で何が大事か」を一足飛びに結論すると。
――これを「源氏物語を描く場合、何を描けば源氏物語たり得るのか」と言い替えよう。
そうするとわりと答えやすくなる。

源氏物語が源氏物語であるためには、

源氏の人生の明暗
彼を取り巻く女君たちの生き方

を、きちっと書かなければダメだね。
人生の明暗。つまり山あり谷ありの源氏の人生を書くだけでは不足で、
やはり最後には「諸行無常」があるべきだ。波乱万丈を描くのが目的ではない。
桜の花、だな。満開の桜はこの上もなく華やかだ。だがその華やかさにはすぐ背後に迫った――
滅びというと強すぎる――終息が透けて見える。
源氏の人生は桜の花を理想として描けばいい。

そしてそこに絡ませる女君たちの生き方は、当時の状態からして仕方ないのか、
おおむね恋愛の形で表される。「千年の恋」とか「Genji」が大きく間違ってるのは、
源氏と女君たちの関係を単なる恋愛沙汰としてしか描いていないところだな。
(だから同じような濡れ場を描くだけになってしまうのだ!)

恋愛模様を手段として使って、その女君たちがどういう人間か、
彼女たちがどう違うのかを描かなければいけない。
作品の中では、ほぼ全てを源氏との関係性によって説明することになるので、
絵の具として、例えば赤系統のものしか与えられていないような不自由さを
現代の作り手には感じさせるだろうけど、最初から赤系統の絵の具しかないと思えば。
単色でも濃淡で様々な世界を表わすことは可能だもの。水墨画を見てみろ。

で、飾りとして、めでたき宮中生活を描けば。
これで、源氏物語は描けると思うのだが、どうか。

実は大事なポイントはもう一つある。
源氏がマザコンであること。
亡き母の面影がその後の女性遍歴に大きく影響していること、紫の上の略奪婚、藤壺との不倫、
不倫の結果としての不義の子が帝になってしまうこと、それに伴う罪の意識と須磨流謫。
自分の不義が、人生の後半において女三宮の不義となって、晩年の源氏の苦悩になるわけだから、
やはり源氏の出発点としてマザコンは外せない。

ゴージャスなマザコン男の人生の明暗とそれを取り巻く女たちの人生。
これを押さえていれば、たとえ舞台をどこにしても「源氏物語」になりうると思う。
例えば現代に持って来て、大会社の跡取り息子と彼を取り巻く女たちの話にしたとしても。
出来そうでしょ?

あ、ちなみにわたしは宇治十帖は、「源氏物語」とは別もんとしてとらえてます。
別人が書いたという説に加担はしないけれど、明確に続編で、あえて言えばつけたし。
書いた時の状況も動機も、本編とは全く違う気がする。
やはり源氏がいてこその「源氏物語」。薫や匂宮では物足りないのだ。

相変わらず無駄に長く、しかも要旨が思いっきりぶれている駄文で……どうも申し訳ない。
お詫びに源氏物語の世界が好きな人にこんな本のご紹介。

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上は写真がメイン。下は文字と図。
これを読むと、源氏物語により臨場感が味わえます。超優良本。

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