わたしは基本的に、以前読んだ本のことはブログの記事にしない。
本の感想は読んだその時じゃないと色々忘れるもので、読後1ヶ月も経ってしまえば変質する。
直後の感想だけが正しいという意味ではないが、やはりそれなりの賞味期限のうちに
書きとめておきたいから。
しかし「ま・く・ら」「もひとつ ま・く・ら」はわが蔵書に入って、もう長い。
10年くらい経ったかな。これは小三治が高座で喋った「まくら」
(=前置きの言葉。落語などで本題の前に語る小噺(こばなし)を中心とした部分の称。)
だけを集めた本。すごく面白いエッセイ。多趣味というか、多方面に興味を持てる人らしく、
アメリカで英語学校に通った話とか、旅先で出会った芸者さんにまつわる話とか、
オーディオの話とか、塩の話とか、駐車場に住み着いたホームレスの人の話とか……
あまり再読はしない方なのだが、エッセイ(正確には喋りを文字に起こしたもの)
ということもあり、これは一時期本当に何度も読み返していた。面白いですよ。
小三治は、才のある人なんだろうと思う。それ以上に努力をした人なんだろうけど。
わたしは実際に演じている小三治を知らない。かろうじて顔がわかるのみ。
これは本人がはっきり言っているんだけど、テレビに出ないからね。
わたしは落語、好きだけれど……ただわたしの落語は主に本から摂取されたもので……
古典落語の本を読むのが好きだったんですよ。
本来、落語は話芸なんだし、読んた落語に意味はあるかという疑問は出る。
一応寄席にも数回行ったことはあるけど、小三治の落語をしっかり聞いたことはない。
つまりわたしの小三治は、何よりもまず「ま・く・ら」と「もひとつ ま・く・ら」の著者として。
その本が好きだったから、とても親しみを持っていた。
※※※※※※※※※※※※
少し前にNHKの「プロフェッショナル」で、小三治の回が放映された。録画したのを今日見た。
見た途端、「小三治老けたなー」と思った。別人。顔だけ見たら誰かわからないよ。
しかし見続けているうちに尋常の老け方じゃないことに気づく。
だってまだ68歳だよ。昨今の60代なんておじいちゃんと呼ぶのに気がひけるくらいなのに。
今にも人間国宝になってしまうのではないかと思うほど弱ってみえた。
リュウマチだそうだ。寄席に上がるのや声を出すのも相当ひどそうで、
……何か怒りを感じる。
この間、緒方拳が亡くなった時にも感じた怒り。
何で死んじゃうんだろう。これからもっともっといい仕事が出来たはずの人が。
長生きして、もっとたくさんのものを後へ残さなければならない人が。
平均寿命が79歳。そのはるか手前で死んじゃうなんて。
小三治もね。元気一杯で演らせてあげたいんだよ。
わたしが言ったってしょうがないけど。
あれだけ道を究めようと努力している人が、その努力だけでも大変なのに、
なぜ闘病の努力までも負わないといけないのか。
そのことが、何だかとても不公平なことに感じる。
ただ生きてるだけではなく、一所懸命生きてる人には、長い健やかな命を差し上げたい。
薬を山のように――比喩じゃない、本当に山のように、何十錠も呑んでいた。
あんなに呑んだらむしろ具合が悪くなるのではないかと心配になるほど。
※※※※※※※※※※※※
わたしは、落語の小三治を語れない。
わたしが語れるのは「ま・く・ら」の著者としての小三治。
がんばってる人にがんばれなんて言えないよ。
でも。長く健やかにと願わずにはいられない。
少しでも体が楽になるように。具合の悪さを感じることなく演じられるように。
そしていつまでも、前へ進んで欲しい。
ちなみにカバーデザインはかの南伸坊。
それからこういうのもある。
実はこれ、2年くらい前に買ってはあるけど、まだ積読本の柱の一冊として発酵中。
読むのはあと2,3年かかるかな。
コメント