ずーっと昔から、この人の名前が気になっていた。元読売の江川卓投手と同姓同名。
が、今回初めて読んでみたところ、この人は「エガワタク」だそうです。
もちろんあの江川卓が、罪と罰についての本を書くとは思わないが……
こないだ「罪と罰」を読んだので、今のタイミングなら面白いかな、と思って読んでみた。
この本は「罪と罰」にものすごく丁寧にシンボルを探している。
それはもう重箱の隅をつつくように。
著者は登場人物の名前から説明していくのだが、これがロシア語の原義を考えながら
辿っていくと、実に象徴的な名前が付けられているのが判明する。
曰く、セミョーン・マルメラードフを日本名的に翻訳すると、甘井聞太。
セミョーンはヘブライ語の「聞く」に由来し、マルメラードフはマーマレードからの派生らしいから。
(登場人物のほとんどについて名前を解いているけど、面倒なので他については言及しない。)
ちゃんと小説世界での役割に相応しい名前になっている。
他にも、主人公のロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフの
(名前の意味を、簡単に要約が出来ないほどじっくり検討した上で)
頭文字を連ねるとbbb、つまり「獣」の数字である666である!とか。
主人公の部屋を例えるのに、「戸棚」や「お棺」という言葉を選んでいることの意味とか。
主人公の出身地を推理するとか。
こういう類のことが山のように。
……いや、よく考えたよ。面白い。隠された暗号が解き明かされるのを見るのは、
きっと誰でも好きだろう。ヘタレなミステリより面白いよ。
もちろん、そういう内容につきものの「こじつけでは?」と思う部分も多いけどね。
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しかしこういう本を読むと、訳書を読むことに一体どれだけの意義があるのかと……
いつもの疑問が浮かぶ。
だって、ロシア語の名前の「仕掛け」はロシア語を深く知らなければ絶対わからない。
一つ一つの単語の選択だって、日本語で読んでいる限りにおいては
聖書で使われるような文語をあえて使っていることなんてわかりっこないじゃないですか。
しかもそういう細かい部分を、訳出することは不可能に近いでしょう。
日本語で読んでさえ作者が作品に潜ませた意味なんてそうそうわからないのに……
訳している人だって、そこまで普通深読みはしないだろうし。
しかしねえ……もしこの本の内容である深読みが実際正しいとすると、
「ドストエフスキーよ、そこまで仕掛けなくてもいい」と言いたくなるぞ。
作品に色々な意味を潜ませるのは、大変だろうが楽しい作業だと思う。
が、小説の一番大事なところってそこじゃないだろう。
……何が一番大事なのか、正直言うとよくわからないけど、
ドストエフスキーのやっていることは、日本そばを30回ずつ咀嚼しながら食べる、ということと
似たものを感じる。いやいや、そばは喉ごしですから!といいたくなる。
まあ、別に細かい仕掛けを知らなくても、通俗小説としてそれなりに面白かったんだから、
いいんだけどね。つるつると食べても、もぐもぐと食べても美味しくいただけるなら、
それはそれで小説の力量ということなのかもしれないし。
ドストエフスキーはむしろ「深読み」を、わかる人にだけわかってほしかったんじゃないかなあ。
だから、一般人は別に気付かなくていいんだと思う。読んで楽しければ、
あるいは何かを感じることが出来れば、作者は満足なのではないか。
だから、「深読み」が正統派になってしまうと困るね。そこまでいくのは行きすぎだ。
裏を読むのが好きな人は、眉に唾をつけた上で存分に裏を読む、
素直に読む人は、あんまり難しいことを考えずにさらっと読む。
どちらもそれで良いのではないか。
……なんか、この本を褒めたんだかけなしたんだかよくわからないが、
とにかく、面白い本ではありました。
多分著者もわかっているしね、「重箱の隅をつつきすぎだ」って。
(でも、こういうことって、どうしても黙ってはいられない類のことなんだよね。)
「罪と罰」好きの人にはお薦め。楽しめると思う。
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