ミステリ好きなのに、ポーの作品を読んでない!とある日突然気づいたので読んでみた。
どうしても全集を読むと、時系列に並べられているような気がしてしまって。
ついつい初期はゴシックホラー、それからミステリへ“進化”し最初の推理作家になった、
という単純な図式で納得したくなるが、別にそういうわけでもないんだよね。
「黒猫」はミステリではない――壁の向こうに塗り込めた猫が鳴く、というのは
トリックになり得るけど。でもホラーですね。
やっぱりポーの何が手柄っていって、探偵を生み出したことだ。
「モルグ街の殺人」で登場したC・オーギュスト・デュパンは初めから探偵の完成形。
いや、完成形は褒めすぎか。しかし探偵のエッセンスがここでもう出ているのがすごいね。
結局、後に続く探偵物作家はポーの背中を見て書くしかない気がするよ。
器用な人だったんだろうと思う。ポーは。
詩を書いた。ミステリを書いた。ホラーを書いた。SFファンタジーを書いた。
現代でもミステリーとホラー、ミステリーとSFは通底している部分があるのか、
1人の作家がどちらも書くことがある。しかし詩はね。
詩とミステリの(しかもポーのミステリは推理部分がメインだし)方向性って
正反対とは言わないけれど、まったく関わらないような気がする。
そして雑誌編集もやる。とても有能な人を想像するのだが……
……しかしそれでも幸福に死んだとは言えない死に方をしているのだから、
その才能の器用さを生き方にも使えれば良かったのに、とちょっと思う。
ついでに読んだんだけど、ホーソーンの「緋文字」はね。
「税関」と題された序文が死ぬほど退屈、ということを除けば、
アメリカ黎明期の風俗小説としては可不可なし。ただ、誰かに読んだ方がいいかと訊かれれば、
「わざわざ読むまでではないんじゃないかなあ」と答えます。
すごくいい男に描かれている青年牧師の一人称が「あたし」では……。
次にわたしとも言っていたし、誤植かもしれんが。
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