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藤森照信+竹内昌義+馬場正尊が語る東北の未来の建築「東北R計画」

7月27日に仙台メディアテークで行われたシンポジウムを聴いて来た。聴講無料。

面白かった――が、シンポジウムにありがちであることに、テーマが拡散しているので
言葉を変えていえばグダグダ。個々にはだいぶ面白いことも言っているんだけど、
出席者が十分にテーマを理解し、事前準備もOK、話もぶれない、という座談会ではなかった。

ま、シンポジウムって往々にしてこんなもんですけどね。
メンバーの力量。喋りの上手さ。司会の取りまわし。テーマへの親近。
全てが揃うことは難しいでしょう。よほど周到に準備をすれば別だが、そんな時間は普通かけないしね。

だいたい、良いシンポジウムにしようと思ったら、司会をぎりぎりで変更するなんて論外。
司会は当初、竹内昌義が務める予定だったのを、急に変更したとかでどこかの設計事務所の
何とかさん(名前失念)。最初はアナウンサーかと思ったくらい、慣れた感じの人で
素人にしてはとても上手かったけど、少々上手いだけでは3人の違う分野の教授連の話を取りまとめて
テーマに沿った話をさせるという高等技術は無理なんだよね。
司会としての事前準備も少なかったろうし、素手で立ち向かわなければならなくてかわいそうだった。
上手くみんなに喋らせてたことで責任は十分に果たしたな。

全体としては話はボケがちだったけど、でも面白い一言は多かったんです。
漫然と聞いていたわたしが、つい食指が動いてメモを取り始めてしまったくらい。
なので、こうしてブログにも書ける。

とりとめない話が多かったので、順不同に。
(一字一句書きとったわけではないので、ニュアンスとしてお受け取りください。)

「言葉で語る能力と、物を作る能力に関係はないんだけど、言葉が使えない建築家はそれが
とてもコンプレックスのようなんだよ。で、そういう人が変に言葉というか理論に凝りだすと、
理論に合わせた建築を作るようになっちゃっておかしくなる」(藤森)

   それを踏まえて「なぜ藤森さんはこういう建築を作っているんですか」とか、
   「自然と建築との関わりはどういうところから生まれたんですか」という質問は
   答えない(考えない)ことにしているんだって。
   つきつめない。衝動を大切にする。創造力発酵の場所に光を当ててはいけないそうだ。
   

「エコに配慮した建築家は邪道であるというのは不文律的にあるんですよね」(竹内)

   これには藤森さん「いや、それは考えなければいけませんよ」と言っていた。
   発言者の竹内さんはこの言葉をそれほど肯定的に言っていたわけではないけれども、
   でもこういう言葉が建築家の傲慢なスタンスを表している気がするな。
   配慮してください。こんな時代ですから。

「伊東豊雄さんとは全然別な道を通っているけれど、いつかどこかで出会いたいという気がする」(藤森)
「伊東さんが使う技術は、最初に石山修武が使って、それを伊東さんが真似るということが多い。
この(メディアテークの)チューブも気仙沼の造船所の技術を最初に使ったのは石山さん」(藤森)

   伊東さんとはずいぶん仲が良いようです。同郷出身のゆえか?
   でも雰囲気的には、彼ら二人は相当違うところにいる感じだけどね。
   あ、そうそう、藤森さんは「科学技術は普通、個人的に使っちゃいけないものなのに、
   伊東さんはこんな風(チューブ)に自分の方へ捻じ曲げて使ってしまう」と大笑いしていた。

「状況にコントロールされている建築家が多いような気がする。別に建築家がいなくても
カタログからそれなりに選んでいれば出来ちゃう」(竹内)

   それに対して藤森さんが「わたしはカタログから選んだことはないな」と言ったので
   わたしはふきだしました。高過庵のどのあたりにカタログの出番があるというのだ。
 

「でも日本の製造元は物作りの心を失っていないですよ。こちらが作る心を持っているのが
わかるとちゃんと話にのってきてくれる。アメリカとは違って。アメリカはもうすっかり
工業化してしまい、建築的に面白いものは出てきません」(藤森)

   でもカタログ以外のものを使おうとすると、ものすごく費用がかかるというのは
   実質一般人にはカタログ以外の選択肢がないということなのではないかと……
   藤森さんがカタログ以外から選べるのは、ある程度経済性を度外視することと、
   ネームバリューがあるからではないですか。

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最後に質疑応答の時間はあったのだけど、時間が押していたので質問者は一人だけ、
しかもだいぶ的外れな質問で終わってしまったの。
後から考えれば訊きたいことがあったな。

1.藤森さんは話の中で、1920年代から建築には新しいものは生まれてないと言っていたけど、
  具体的に言えば1920年代の何が新しいものだったのか。

2.「建築の究極は透明な建築だ。それに近づいているのは伊東さんとこの妹島や、
  (誰だかわたしにはわからないが)アベだ」とのことだったが、
  透明な建築への志向は理論としてそう向かうべきであるのか、それとも多数派だから
  目指すべき方向とされているのか。
  藤森さん自身は透明な建築なんか目指していないのに。他に究極の形はないのか。

3.竹内さんが自作(リノベーション)紹介で見せたスライドの中に素通しのトイレ・お風呂が
  あったので、いい機会なのでなぜそう作るのか訊いてみたかった。
  客も呼べない部屋。客も呼べないライフスタイルを建築家が誘導することにならないのか。
  そしてその誘導の方向は間違っていないのか。過去、ステンレス(を使用することで
  生まれたきれいな台所)が一般的日本人の生活スタイルを変えたように、
  建築家が作ることで生活が変わってしまうのではないか。
  台所の場合はプラスに変わったと思うけど、素通しトイレは悪い方向へ。
  生まれてからずっと、素通しのトイレで暮らして来た子供は、排泄を隠すべき行為であると
  認識出来ずに大きくなってしまうのではないか。

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ここまで登場機会がなかった馬場さんだが、彼は彼で面白いことをしている。

東京R不動産について|東京R不動産
東京R不動産は、新しい視点で不動産を発見していくサイト。本当は東京には魅力的な物件が山ほど眠っています。

不動産なのか?建築家なのか?博報堂出身というのも変わっている。
スライドで馬場さんの仕事を紹介していた時に、藤森さんがえらくウケていた。
建築は抽象に向かっているという話をした後にも、「あなたのやっていることは抽象度ゼロ!
反抽象だね」などと言って楽しそうだった。

……テーマである「東北R計画」についてはほとんどこれといった言及がないまま
終わってしまったんだけどさ。なんだか常に地方都市にありがちな、
「まあ地方のメリットを生かしてがんばっていきましょう」程度の話だった気がする。
だいたいそんなもんだ。テーマなんて。
むしろ竹内さんと馬場さんだけなら、もっとテーマに沿った話になったかもしれない。
藤森さんを混ぜたせいで、テーマがぶれてしまった。
とは言っても、藤森さんがいなければわたしなんかは聴きに行っていないんだけどね。

今回のシンポジウムは、東北芸術工科大学の客寄せイベント。
「面白そうな大学だな」と思わせてくれたので、イベントとしては成功でしょう。
芸術系大学だけあって、パンフレットの作りも面白かった。

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