わたしは人間が賢くなることは無理だろうと思っている。
今後の社会は悪くなる一方だと思うし、人間が生きるという意味での地球ももうダメだろう。
だから、自分が死ぬまでそうひどい状況を見ずに済むように祈るだけだ。
(とは言え、もうすでにひどい状況になっていると思うので、新聞・ニュースは出来る限り見ない。)
この本は人間社会の危機に関する色々に警鐘を鳴らしたエッセイ。
わたしは上記のスタンスの人間なので、基本的にこういう本は読みたくない。
なるべく視野に入れずに……問題に向き合わずに暮らしたい。
池澤の著作というだけで読んだ。一応、彼はツブしている最中の作家であるから。
思うに、彼の文章は、こういう問題を書くには少し優雅すぎるね。
文学的すぎると言ってもいい。問題が心地いい言葉で語られると、
あまりにさらさらと目を通り過ぎ、それだけのことになってしまうよ。
悲しみや怒りなどの負の感情は、文字にすることで昇華されることがある。
そのコツは、出来る限り抽象化して、さらに出来得るならば美しく書くこと。
そうすると憑きものが落ちたように負の感情が消えることがある。
本人の生身から離れて、描かれた絵のような、目の前に置いて眺められる客体になる。
今回のケースはそれの裏返し。
こういう刺々しい現実は、ゴツゴツした文章、優雅ならざる書き方の方がふさわしいんだよ。
(あえて言えば立花隆のような?)
池澤の文章では、言葉遊び……とは言わないが、切実感が減じる。
だからといって恫喝するのも品がない話で、そこまでを求めてはいないけれども、
もっと訥々と語った方が効果的だろう。
「ゲルニカ」を、例えばラファエロが描いたらどうなるか。
時代が違うので、ラファエロは、絵に具体的なメッセージを込める方法には馴染みがないだろうが、
そこを無視したとしても、ラファエロの画風では受け手に伝わらないものがあるだろうと思う。
※※※※※※※※※※※※
ま、実は一番わたしが言いたいのは、そのあたりのことでは全くなく。
とある部分にツッコミを入れたいのだ。
188ページにこんな文章がある。
ずいぶん前に読んだのでうろ覚えなのだが、日本の初期のSFにおもしろい短編があった。
(作者は誰だったか。作品そのものがあまりの傑作なので、そちらの方は記憶に残らなかった。)
で、その後に短編のあらすじが語られるわけなんだけど……
……池澤さん、これは星新一のかなり有名なショートショートですよ。
(といって、わたしもタイトルまでは出てこなかったが。ちなみにタイトルは「おーい でてこーい」)
これを作者は誰だったかなんて言ってちゃ困るなあ。わたしにしてみれば、漱石の「猫」を、
「猫からの視点で語られるおもしろい話があったが、作者は忘れてしまった」
なんて言うのと比べてしまおうかというくらいのチョンボ。
(さすがに、比べちゃいけないかという自制も働くが)
わたしは、熱い星新一ファンというわけではない。
小・中学生の頃ずいぶん読んだが、それは手近にあったからであって、特に選んだ結果ではない。
もちろん好きでしたよ。が、夢中というには少々遠い。
でもやはり彼は偉人だと思う。
後期を読んでないので、最後まであのレベルを維持したかどうかはわからないのだけど、
ショートショートというフィールドで、あれだけの数、しかもレベルを維持して作り続けたのだから。
くだらないものは書かなかった。失敗作もあったと思うけれど、
少なくとも視線は常に遠くを見ていた。作品への姿勢が誠実だった。
彼の作品が読書の入口になったという人も多いだろう。ま、わたしの偏見だが、
その道を通って本の世界へ辿りついた人は、アレとかコレとかを通って来た人よりも幸福だと思うよ。
今の世の中で、星新一はどの程度認知されているんだろう。
忘れられて欲しくない作家なんだけどなあ。
亡くなって10年だから、今の小中学生で読む人は少ないだろうが。
いや、子供向け作家ではないんだよ。ただ、大人が読んでも子供が読んでも面白い作家で、
しかも作品が良質だとなれば、子供にこそ読ませたい気がするわけで。
星新一のショートショートには色々な要素がある。
風刺も、夢も、毒舌も、皮肉も、悪ふざけも。そして多分優しさも。
消え去るべきではない。作家全般の中でも、美しい独立峰としてしっかり記憶されるべき存在だと思う。
久し振りに読み返してみようか。
講談社
売り上げランキング: 46969
これだとちょっと子供向けっぽくて、大人の皆さんは抵抗があるかも……
他に何に収録されているんだろうなー。
コメント