だからメタ・フィクションなんて嫌いなんだーっ!!
……と叫ぶことになるかと思いながら読んだら、なかなか面白かった。
空腹は最良のソース、という言い方と同じ意味で、物事を楽しむためには
「期待をしない」というのが最良の方法なのだろうか。
それもつまんない話だよねえ。
本作は古代アテネを舞台にしたミステリ的メタフィクション。
実はメタフィクションの迷宮性とミステリは相性がいいのではないか?
まあミステリとして読むべき作品かというと、そうではないが。
でも、謎が謎を次々生み出していく所は、重層性で成功している。
これを読んだのは、例によってネット上の某所で紹介文を読んだから。
が、わたしは途中経過は楽しんだけれども、別に最後で地団駄は踏めなかったんだよなあ……
あっそ。ってなもんで。ということはつまり、結局この小説の一番美味しい所は
実は読めていないんだろう。
物々しく言及される「直観隠喩法」も、それがいかなるものかということは
まったく考えずに読んだ。そこまで付き合う気にはなれなかった。
ポストモダンがどーのこーのとあとがきで書かれているけど、
……そういった方向にも全く興味はない。
個人的には、古代アテネが舞台で、プラトンまでも(チョイ役だが)出てくるくらいなら、
もっと蘊蓄を傾けても良かったような気がする。こういう作りの作品はおそらくべったりした
蘊蓄と相性がいいはずだ。それなのにその部分は意外なくらいあっさりとしており……
あっさりとしているからこそ読みやすくて楽しめたのかもしれないが。
そこらへんは以前に読んだ(同じくメタフィクションという意味で)
「形見函と王妃の時計」の方が雰囲気があったな。
ただ、この作者はキューバ出身らしい。
であれば、わざわざ古代アテネを舞台にする必要があったかどうか。
いや、必要というより、アテネにしたことが効果的だったか。
シェイクスピアのアセンズが全くアテネを思わせないように、
この作品のアテネも、全くアテネを思わせないものだったと思う。
この作者が舞台とするに、もっとふさわしい時代と土地があったような気がするが、どうか。
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