【……困る。】
これを見に行って、怒る人もけっこういるんだろうなあ。それも仕方ないよなあ、コレでは……。
ストーリーはまともじゃないし、シモネタ多いし、同性間恋愛だし、妙なハイテンション&笑い。
見る人を選ぶだろう。ちょっとツボがずれると果てしなく駄目、という作品。
……わたしは好きだったんだけど。
ちなみに、わたしは基本的にごくごく常識的な映画が好きな方で、ストーリーの整合性も
気になるし、シモネタはキライだし、同性間恋愛も苦手な人間です。
でもなんかこの作品、いいんですよねー。
「優しみ」でしょうか、ポイントは。愛情と言い換えてもハズレではない気がするけれど。
内容には深いものがあるような気がする。特に後半。でも”気がする”だけなので、どう深いか、
というのは言葉に出来ない。言葉で良さを説明する映画ではないのではないか。多分。きっと。
逃げ半分ですが、言葉にすることが価値というわけでもない気がするんですよね。
面白い解釈を展開する人たちもいるのですけれど、わたしは映画には解釈をあまり求めないので。
表現されたものに象徴を捜すことは、単に記号をつけて安心する行為でしかないのではないかと
思ったりしているわけです。たしかにクドカン作品はそういう「仕掛け」を楽しむもの
らしいので(よく知らないけど)、それはそれでいいのですが、
でも一般的には、隠された象徴を見つけても、それが「だから何?」ってことにしか
ならない場合も多いと思う。
あ、話がずれた。最近「実はこれってこういう意味?」という宝探し的なことを楽しむ
姿勢が増えた気がして気になっているんです。そういうことばっかりしていると、
いつまで経っても作り手の掌から出られない……。
役者はみんながんばっていました。キャスティングもはまっていましたね。
主役の二人も偉い。ああいうことをきっちり出来るテンションまで自分を持っていくのは
感心します。全体的にそうだけど、ナンセンス系ハイテンションの演技はエネルギーが
相当必要でしょうね。
小池栄子は非常に雰囲気を上手く出していた。シリアス部分も幻想部分もはまっていた。
勘三郎も……よくあの役で出ましたね……。新しいことをやるのが好きなんだなあ。
しかし襲名前後の微妙な時期に。
山口智充の器用さは知っていたけど、改めてその感を深くしました。
しかし「笑い」という意味では今ひとつポイントが合わなかった。
大爆笑、した人はしたらしいですが、わたしは「にやり」程度だった。
なので、笑える映画として見に行くのはどうかと思う。それだけのものでもない。
笑いを主目的に行った人は前半の方が面白いそうです。わたしは後半が面白かった。
もちろん前半があってこその後半だけれども。
でも、思ったんですけれど、クドカンは(制作者として)天寿を全うするのは難しいでしょうね。
爺婆になっても書いていられるのはやはりハシダスガコやクラモトソウのスタイル……
がんばって欲しいものです。
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