これが駄目だったら夢枕獏を見捨てようと思っていたのだが、これは良かった。少し持ち直し。
北上次郎という書評家がえらく褒めていたので、おっかなびっくり読んでみた。
別にそうびくびくしなくても良いとは思うが、「世に面白いと思える本は、
実は自分の想定数よりもずっと少ない数しかないかもしれない」という恐れを抱きつつある
わたしにとっては、藁にもすがる思いで書評を読んでいるわけだから、
絶賛作品が駄目だとダメージが大きい。
いや、ありますよ、そりゃ色々。書評家大絶賛でも全然面白くないものが。
もちろん好き嫌いの話だから、面白くないというのはありなんだけど、
「これを褒めちゃあかんやろ」ってのを褒めている場合もありますからね。
ちょっと話はずれるけれども、「この人が薦める本なら面白い」と思える人物を探している。
なので、書評などを読んで食指が動き、読んでみた本については、書評家名と自分の感想の
データをとっている。現在、データ数が少ないのでまだ結果は言えないが、
(まだ書評家一人あたり3~5作品しかデータがない)もう少しデータが蓄積したら、
そういう信頼できる書評家が見つかるのではないかと期待している。
あまり面白い本にぶち当たらないので、出来れば精度を上げたいんです。
一生に読める本は有限なんだし。
※※※※※※※※※※※※
閑話休題、「神々の山嶺」のこと。
これは夢枕獏自身が山に登るからこそ書けた小説だ。
実際ヒマラヤに複数回行っているそうだ。その経験自体を作品の評価に反映させるのは公平ではないが、
そうは言っても、行ったこと自体すごいと思ってしまうので、少々甘くなる。
フィクションの存在理由の一つ――自分では経験出来ない状況を味わわせてくれる。
わたしには絶対に行けない、ヒマラヤ。わたしには持てない、山への血が滲むほどの憧憬。
むしろ呪縛と言った方が相応しいほどの憧憬。こういうのをわずかでも感じるために、
わたしはフィクションを読むんだよ。
……いや、でも、違うかもしれない。
実に細かいことだが、この小説を読んで良かったと思うのは、「感じる」部分ではなくて、
「知識」の部分かもしれない。あれだけ高い山に登るためにはどういう準備が必要で、
どうなってこうなってああなる、という知識の部分。それを読んで勉強になったと思えるような部分。
やはりわたしは知識本的読み方でしか読書の楽しみを得られないのだろうか。
この辺がどうもコンプレックスだなー。
まあどの部分で楽しもうと、本として楽しめたのは確かなので、良いのだけれども。
私見だが、視点人物(深町)と主人公(羽生)のキャラクターは接近させない方が良かったのではないかと思う。
羽生の後を追う深町、という点から言えば相似形になるのは不自然ではないのだが。
でもどちらも山に惹かれ、山によって人生が大きく変わり、破綻に向かっていく……
そういう人物が2人いる必要はなかった気がするんだよなー。
(最終的には深町は破綻しないけれどもね)
視点人物は羽生とは全く違う、あっさりした人の方が良かったかもしれない。
山と人生の苦しみは、羽生のものとして描いた方がより迫力が出たんではないかな。
せっかく羽生という強烈で魅力的なキャラクターを生みだせたんだからさ。
美味しいところはみな彼にくっつけて、深町は単に叙述者に徹した方が良かった。
まあそうなると、クライマックスである最後のエベレスト登山部分の書き方が
とても難しくなるでしょうが。
実は、視点人物の独白はかなりうざったかった。
わたしの嫌いな改行多用。何ページにもわたって「何ぐだぐだ言ってんねん!」と
いいたくなるような内面表白が続く。わたしの鑑賞力の問題かもしれないけど、
こういう部分は夢枕獏、決して上手いとは言えないと思います。
内面の自問自答を書きたくなるのはよくわかるけれども……それっていくらでも書けるから、
きりがないんだよねー。そこを抑えて、短くシャープに書き表すのがプロ。
少なくともわたしはその方が好み。
好みと言えば、最初にマロリーのカメラという謎を入り口としたのは好きだった。
ミステリ好きだから、そこで食いつける。その後の話の展開にも上手く使われていると思う。
ただ、その謎解きが主体じゃないから、その方向を期待すると裏切られますが。
他の部分が読み応えがあったから不満はなかったが、そうでなければミスリードと感じたかもしれない。
まあとにかく、自分の中での夢枕獏の評価がちょっと上がって良かった。
だからといって、今後彼の作品を読んで行こうとは思いませんが。この好印象を持ったままでいたいので。
一応、今後2,3の旅行記を読んで、それで多分終わり。
願わくは旅行記で印象が悪くなることがありませんように。
集英社 (1997/08)
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コメント
生きるとは!?
はじめまして。
ご迷惑でしたらお赦しください。
自分が日頃から考えていることですが
人は一体、何のために生きているのでしょうか?
人はどこから来て
何のために生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
神の存在、愛とは何か、生きる意味は何か、死とは何かな
どの問題などについて、ブログで分かりやすく聖書から福音
を書き綴っています。ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
(聖書のことば)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところ
に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
(マタイの福音書11:28)。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛
している。」(イザヤ書43:4)。
Unknown
こんにちはm(__)m。
神というキーワードでいらっしゃったのでしょうが、
ここで使われているのは「神々」ですからねえ。
キリスト教の話をするのは無理があると思いますよ。
わたしは宗教学と美術方面からのキリスト教には多少の興味はありますが、
宗教としてのキリスト教は好きではありません。
……一番好きなのはキリスト教関連のトンデモ本だが。
「トリノ聖骸布の謎」とか面白かったですわ。
そのうち「宗教から読むアメリカ」という本を読んでみようかと思っています。