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◇ 大江健三郎「ピンチランナー調書」

初大江健三郎。よく考えてみると、ノーベル文学賞作家ほとんど読んでないな。
読んだことがある作家を数えると6人だったが、複数作品となるとヘッセと川端康成くらいだ。
だいたい歴代受賞作家、名前を聞いたことすらない人ばっかりだわ。

そう、それで「ピンチランナー調書」。
難解だと事前に聞いていたが、読んでみて……たしかによくわからなかった。
前半は、作りは妙だがそれなりに話は展開して、普通に読めたのだが、「転換」後はお手上げ。
話が動かなくなるし、何より「転換」の意味が掴めない。「転換」にどういう意味があるのでしょう。
これがわからなきゃこの作品を読んだ意味がない。

何を書きたい話なのか。外形的には、核の話とか、それに反対する運動の話とか、
自分の息子――というか、作りがちょっと凝っているせいで「語り手の」息子になる――の話とか、
一見テーマになりそうなことは書いてあるのだけれど、
実際はそういうのはごく表層的な部分だと感じる。
で、何か言いたいのか?と考えてみても、よくわからない。

本の紹介文として、文庫のカバーには以下の文章がある。

  >地球の危機を救うべく「宇宙?」から派遣されたピンチランナー二人組!
  >「ブリキマン」の核ジャックによる民衆の核武装?……。内ゲバ殺人から
  >右翼大物パトロンの暗躍までを、何もかもを笑いのめし、価値を転倒させる
  >道化の手法を用いて描き、読者に再生の希望と大笑いをもたらす。
  >死を押しつけてくる巨大なものに立向い、核時代の《終末》を拒絶する
  >諷刺と哄笑の痛快純文学長編である。

そうかなー?わたしとしては、この紹介文にさっぱりピンと来ない……
これを書いた人はわかって書いてるの?わからないがゆえに抽象的にまとめてみた、という気が。
それに、「笑いのめし」「哄笑」「痛快」なんて言葉を使うには、この作品、苦味が勝っていないか。

わたしはこの小説に足掻きを感じた。足を取られて抜け出せぬ苦しさを感じた。
あまりにも不可分になってしまった息子との関係が書かせた作品であるようにも思う。
そう感じていて、「大笑い」なんて出来ませんわな。これで大笑い……する人がいるのかね?
どこで笑うんだろう、一体。
最終的に自己に向かう、痛ましい嗤いしか感じられなかったのだが。

こっちとしては、目をつぶって対象を手のひらで撫で回しているようなもどかしさ。
作品はかなり頑丈にそこにあるけれども、それが何なのかは謎。
「盲人の象」状態にかなり近い。一文一文はわりあいに鮮明で読みやすいが、総合的な形は描けぬ。
あ、でも読みやすいと言っても、カタカナ交じり文の部分が少々多く、この辺りはツラかった。
純文学って多分読みやすさを追及はしないんだろうけど、カタカナ交じり文はもっと少なかった方が……
更に言えば、書き手が時々登場してくれてインターバルを置いてくれたら
ありがたかったのになー。あの語り手の投げやりな雰囲気にずーっとついていくのも少々ツライ。

ラストは唐突に終わった印象。ここはちょっとなあ。”ピンチランナー”のイメージは、
わかるような気はするけど、それはあくまで右脳的に。
ピンチランナーがこの小説においてどんな意味があるのか、言葉に出来ない。
言葉に出来ないものはやはりわからないと言うしかないやね。
こういう言い方は右脳系がのしてきた昨今では流行らないだろうけど、
一般的に「理解する」のはやはり言語によるべきだろうと思うのです。

ピンチランナー調書
ピンチランナー調書

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