この前に読んだ短編集「灰色の輝ける贈り物」は今ひとつ好きではなかった。
今回のこれは「好きか嫌いか」という観点で言ったら、そこそこ。
良作かそうでないか、といったら確実に良作。読んで損はない。
新潮社 (2005/02/26)
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amazonの内容紹介を読むと、この本のテーマが一言で書いてある。
「人が根をもって生きてゆくことの強さ、またそれゆえの哀しみ」
この本はまさにそれを描き上げた作品。
言いたいことはこれに尽きるわけで、先を越されては言うこともないなあ。
何世代も前に、カナダへ渡って来たハイランダー(スコットランド高地人)。
彼らの子孫は北米大陸においても、故郷の地の古譚を愛しく語り続ける。
古から伝わってきた歌を歌う。冗談口を言う。故郷の言葉、ゲール語で。
血脈の連なりは彼らに「クロウン・キャラム・ルーア」(キャラム・ルーア一族)
という呪文を与え、それを同じ一族に向かって口にするだけで、初対面の男が兄弟も同然になる。
呪文が無くても「血」は魔法を使い、初めてスコットランドへ行った一人は、
何も言わなくても「あんた、ここの出だね」と声をかけられ、一族として迎えられる。
根がある、というのは大きな木の一部分になるということ。
根無し草は弱いと言われる。木はその反対で、そこには生まれながらの強さがある。
どっしりとして大きな木の、その中のほんの先端の枝であっても「木」。
たしかにどこかへ繋がっているという意識を持てる人間は、愛情と誇りに守られる。
本文最終行は「誰でも、愛されるとよりよい人間になる」で終わるが、これはただの愛ではなく、
「木であること」によって保証された愛のことだと思う。
しかし木であることは、良くも悪くも全体からの影響を受けずにはいられない。
根無し草は弱いけれども、「たった一人」である自由がある。孤独を覚悟さえすれば、
自由という幸福がある。木にはその幸福だけはない。幹の痛みは枝の痛み。
切ろうとしても切れない、その関係性の深さが根を持つことの哀しみだ。
表紙に原題が「No Great Mischief」とあって、邦題が「彼方なる歌に耳を澄ませよ」なのが
疑問だった。この邦題、いじりすぎでは?と。
「大した災いはない」と直訳したらひどすぎだけど、わたしは「人生それほど悪いことばかり
じゃなかった」という意味でつけられたタイトルかと思っていたので。
が、本文を読むと「No Great Mischief」という言葉は何度か出てきており、
ハイランドの歴史的な背景を持つ台詞の一部らしい。
こういうのは、その歴史を知らないと太刀打ち出来ないからな。
その背景を含みつつ、日本語に翻訳するのは無理だったろう。
カエサルのルビコン渡河のエピソードを知らない人に「賽は投げられた」と言っても
通じないのと同じ。
原題主義から離れれば「彼方なる歌に耳を澄ませよ」はタイトルとしては非常にいい。詩的で。
訳者のお手柄。
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ピンと来る作品に出会うのは、何と稀有な幸運なのだろうと思う。
一目惚れのように愛せる。出会えたことに感謝する。そんな本と、一生のうち何度巡り会えるだろう。
残念ながら、この本はわたしにとってそういう「運命の本」ではなかった。
良い作品だというのはよくわかるから――だからこそ、何か心寂しい。
このくらいの本までに愛着が持てるのなら、自分の読書生活ももっと幸せなんだろうな。
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