昨日の「新日曜美術館」は伊東豊雄の特集。
せんだいメディアテークはわたしとしても愛着のある建物なので、
本人にとって転機になった大事な作品という紹介をされたのが嬉しかった。
しかし、そーですか、あのスケルトン柱に職人さんの心意気がこもっているわけですね。
すみません、今度はもっと心して見ます。
他にも色々、伊東豊雄の作品が紹介されていたけれど、それらの使い心地はどうなんだろうなあ。
もし作るもの作るもの、メディアテーク並の満足感を使い手に与えてくれるとしたら、
伊東豊雄、尊敬に価する。
建築は理念よりも美しさよりも、使い勝手を第一にすべきだとわたしは信じているから、
どんなに理念的に素晴らしかろうと、外観が美しかろうと、使い勝手が悪ければ屑である。
メディアテークは(あんなかっこつけた外観をしていながらも)使っていてキモチいいんです。
使い勝手って、建築を見に行った、ただの見学者にはそう簡単に分かる部分ではないからなあ。
一見しただけでわかるのはデザイン。デザインで素人を感心させるのはそれほど難しいことじゃない。
ある空間を広くとって、ちょっと目先を変えたらけっこう見栄えがしますからね。
ま、それが悪いことではないんだけど、それだけだとちょっとね。
建築がただのオブジェもどきになってしまってはいかん。
どうなんだろ、たとえば「中野本町の家」なんかは。ご親戚の家らしいが。
仕切りと開口部が少ない設計であるようだが、部屋に「穴倉性」を求めたいわたしとしては、
ああいう仕切りなしのオープンな設計はどーも落ちつけないような気がする。
作りとしては十分面白いけれど、住むとしたらどうかな。まあ、これは個人住宅で、
住む個人の性向に大いに左右されるけれども。たとえ世の中の人全てが「住みにくい」と言ったとしても、
住んでいる人が満足しているなら大成功の住宅設計だしね。
ああいう住みにくそーな家に住んでみたいなあ。そして実は住みやすかった、ということがわかったら、
すごくエキサイティングな経験になるはずなのだが。
さて、使い勝手がものすごく気になるのが、今度、台湾は台中市に伊東豊雄が作るというオペラハウスである。
現在は模型の段階。……しかし見ただけで「なんじゃこりゃ?」だよ。
形が……ものすごい。まともな神経ならコレを建てようとは思わない。
連想するのは人体内部。見るからに内臓的うにょうにょ。
でも設計の基本は、見てくれと違ってかなり理念的に導き出されたパターン。
それがどうしてああいう風に、アヤシゲな形になるのかわからないよなー。
あんな風にみんな繋がっていて、音響的に大丈夫なのかね?不安。
音響がダメダメなオペラハウスなんて、有り得ないでしょう。そんなものがあったら、
三文の値打ちもない。
しかしずっと前、妹尾河童の本で読んだのだが、実はその有り得ない建築、そう珍しいものでは
ないらしいですよ。河童さんは「もういい加減に、変な劇場を建てるのを止めてください!」
という一文を書いたことがあるそうだから。
静かならざる図書館、というこれもアリエナイ建築は、実例がわたしの身近にあるし。
「○○とはどうあるべきか」を全く考えずにその建物を設計してしまう表層建築家がいかに多いか、
ということでしょうね。あほくさ。
伊東豊雄にはそんなアホウな建築を作って欲しくないぞ。絶対に。
伊東豊雄の展覧会は、来年の春にせんだいメディアテークにも来るらしい。
楽しみである。
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